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家持と池主②

746(天平18)年初秋、国司として越中国(高志の国)にたどり着いた家持の後を追うように、弟の書持(ふみもち)の死が伝えられ、家持は深い悲しみに沈みます。その悲しみを共有し、家持の支えとなったのが越前国掾大伴池主(いけぬし)でした。

そして、翌747年の春、2月末、おそらくインフルエンザに罹患した家持は、死を覚悟するほどになりました。この時も彼のその辛い気持ちを受け止めたのが池主でした。

家持の池主への手紙・・「今はまさに春の朝に春の花が咲き満ち、良い香りを春の苑に匂わせています。さらに春の暮れには春の鶯が鳴いて、その声を春の林に囀っています。この好ましい時にあたって、琴や酒を楽しむべきなのに私は杖をついて歩く気力もない。」・・ここには「春朝、春花、春霞、春鶯」などの春の季節を表す漢語が並べられており、この言葉がのちの家持の詩心の広がりへと繋がっていると言われています。病のために外出できない辛さを、池主に伝え、次のような歌を添えました(2月29日)。

鶯の 鳴き散らすらむ 春の花 いつしか君と 手折り挿頭さむ (巻十七3966)

うぐいすの なきちらすらん はるのはな いつしかきみと たおりかざさん

鶯が鳴いて散らしているだろう春の花をいつあなたと手折り、かんざしにできるでしょう。

そんな家持の手紙に池主は返信を送ります(3月2日)。

鶯の 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも(巻十七3968)

うぐいすの きなくやまぶき うたかたも きみがてふれず はなちらめやも 

鶯がやって来て鳴く山吹はあなたが手を触れすに花が散ることなどけしてないだろう。

さらに、3月3日家持は池主に返事を送ります。「生来私は俗愚でして癖として黙っていることができないのです。それで下手な歌をたくさん送るのです。」〜その中から二首。

山吹の 繁み飛びくく 鶯の 声を聞くらむ 君は羨しも (巻十七3971)

やまぶきの しげみとびくく うぐいすの こえをきくらむ きみはともしも

山吹の繁みを飛びくぐる山吹の鶯の声を聞いているだろうあなたがうらやましいよ。

出で立たむ 力を無みと 籠り居て 君に恋ふるに 心神もなし(巻十七3972)

いでたたん ちからをなみと こもりいて きみにこうるに こころともなし

外に出る力がないからと家に籠っていてあなたを慕っていると心がぼんやりしてしまいます。

3月5日池主は家持の歌を褒め称える返事を書きます。「あなたの詩想は高く駆け巡り・・・山上憶良や柿本人麻呂を凌ぐほどです・・・」そして、添えた家持に唱和した歌の中から二首。

山吹は 日に日に咲きぬ 愛しと 吾が思う君は しくしく思ほゆ(巻十七3974)

やまぶきは ひにひにさきぬ うるわしと あがおもうきみは しくしくおもおゆ

山吹の花は日一日と咲き誇ります。私がうるわしく思うあなたがしきりに思われます。

我が背子に 恋ひすべながり 葦垣の 外に嘆かふ 吾し悲しも(巻十七3975)

わがせこに こいすべながり あしがきの とになげかう あれしかなしも

あなたに恋してなすすべも無い。葦垣のようにへだったよそで立ち嘆き続ける私は悲しい。

家持は「私は愚鈍だからあなたの風雅な詩にうまく和することができません。」と言いながら、七言絶句や山吹の歌の後に、葦垣の歌を添えます。

(山吹の花@高岡万葉歴史館2020・8)

(葦垣・現在は能登の風景の特徴とされている)

葦垣の 外にも君が 寄り立たし 恋ひけれこそは 夢に見えけれ(巻十七3977)

あしがきの とにもきみが よりたたし こいけれこそは いめにみえけれ

葦垣を隔てた よそに貴方が立っていて私を慕ってくれたからこそ、夢に見えたことです。

男性同士のやりとりですが、まるで恋人のような・・・当時の歌のやり取りは心情をいかに相手に伝えるか、が大切なので、このように同性や、家族同士のやりとりにも、恋人同士のようなやりとりが見られるそうです。

また、上にはあげませんでしたが、3月4日、5日に、池主から家持に送られた七言絶句の中で池主は「桃花瞼を照らして紅を分かち(とうかまなぶたをてらしてくれないをわかち)柳色苔を含みて緑を競ふ(りゅうしょくこけをふふみてみどりをきそう)・・・」「春の野にすみれを摘むと(はるののにすみれをつむと)白妙の袖折り返し(しろたえのそでおりかえし)紅の赤裳裾引き娘子らは(くれないのあかもすそびきおとめらは)君待つとうら恋すなり(きみまつとうらこいすなり)・・・」と歌いますが、これは、「桃の花と紅」「紅と娘子」の語句によって情景を歌いあげた最初の歌として特筆されると、藤井一二さんは書いておられます(大伴家持〜波乱に満ちた万葉歌人の生涯〜中公新書)。のちに生まれる家持の代表歌であり、万葉集の代表歌でもある「春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(はるのその くれないにおう もものはな したでるみちに いでたつおとめ)(巻十九4139)春の園に紅が照り映える。桃の花の輝く下の道に立ち現れる少女・・・。の下地となる七言絶句であるということですね。

この池主との往復書簡を皮切りに、家持の越中での歌がほとばしるように生まれ出てきます。都に残した妻を思う歌、ホトトギスの鳴かない越中の立夏への戸惑い、射水川が流れ神々しい二上山のそびえる風景を歌い、布勢の海に寄せる白波へ想いを寄せ、夏も雪をいただく立山・片貝川の美しさ・・・そして立山・片貝川の歌に唱和する池主の歌(4月28日)(巻十七4005まで)・・・それぞれの歌景色にワクワクします。ぜひ万葉集で味わってみてください。

家持の病はすっかり癒え、5月には租税の報告をするための正税帳使として奈良の都へ向けて出発することとなりました。家持は都に帰る喜びではなくて、池主と離れる辛さを歌い(4月30日)、池主もそれに唱和します。(5月2日)

うら恋し わが背の君は 石竹花が 花にもがもな 朝な朝な見む 池主(巻十七4010)

うらこいし わがせのきみは なでしこが はなにもがもま あさなさなみむ

心から慕わしい貴方は、なでしこの花であってほしい。そうすれば我が庭に毎朝見られようものを。

(参考)

家持と池主①不安に思いながら都を離れ、越中の国に赴いた大伴家持を迎えたのが生涯の友、大伴池主でした。弟書持の死に悲しむ家持の心を慰めたのも池主でした。池主は家持の万葉集編纂に大きな力を貸し、また、家持の歌作にも大きな影響を与えました。...
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