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家持追っかけ旅① 能登半島

大伴家持にハマってしまった私は、越中国(高志の国)にどうしても行きたくなり、行ってきました。きちんと計画を立てる性格ではないのでかなり行き当たりばったりです。

サンダーバードで金沢に向かいました。帰省自粛の影響下、乗った車両の乗客はたったの5人。金沢から七尾線に乗り換えて七尾まで行き、レンタカーを借りました。能登半島の北側の付け根にある七尾から輪島を目指して出発。

途中、「巌門」の標識がたくさん出てきます。日本海沿いの岩の絶景が続く海岸です。増穂浦海水浴場の近くの道の駅「とぎ海街道」で休憩。ここのうどんの出汁がとても美味しかったです。ほとんど無色、スッキリした味。海岸で多くの種類の美しい貝殻が拾えるそうで、「三十六歌仙貝コレクション」というイベントをやっていました。時間があればぜひやってみたかったのですが残念ながら美しい紅貝をお土産に購入するだけにしました(貝と三十六歌仙がどう繋がるのかは不明)。

私は、この辺りにあるはずの仁岸川を通り、歌碑を見たかったのですが、地元の方に尋ねても「知らない」・・・ということで見逃してしまいました。

妹に逢はず 久しくなりぬ にぎ石川 清き瀬ごとに 水占延へてな

(万葉集巻十七 4028)

いもにあわず ひさしくなりぬ にぎしがわ きよきせごとに みなうらはへてな

妻に逢わない日が長くなった。無事かどうかにぎ石川の清らかな瀬で水占をしてみよう。

 

746年越中に赴任した家持の元に弟書持(ふみもち)の死が知らされます。そして家持自身も病に臥し死を覚悟までしました。病も癒え、748年春、国内巡行の旅に出ます。出挙(すいこ)といって、種もみになる稲束を民衆に貸し付けて、秋の収穫時に利息と共に元本の稲を回収する制度を行うことが、国司としての仕事だったのです。この時家持は9首の歌を残しています。

家持が、当時、仁岸川のどの辺りをどのように渡ったのかはわかっていません。地元の人にもあまり知られていないのはそのせいかもしれません。また、この歌が都に残した妻を思う望郷の歌になっていること(能登の自然に驚き感動した歌でないこと)もその一因だと思います。

能登半島を北上していくと「天領黒島」「黒島重要伝統的建造物群保存地区」に行き当たりました。広い範囲で古い街並みが残されていて、江戸時代に北前船で富を得た豊かな歴史が体感されます。黒い瓦屋根と白い漆喰壁、グレーの板壁、のモノトーンの風景が、空の青、や、周りの緑と美しいコントラストを作り出しています。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/hozonchiku/pdf/r1392257_025.pdf

https://www.hot-ishikawa.jp/spot/21322

ここで「角海家」と「天領北前船資料館」を見学した時の案内のおじさんは「仁岸川」のことも家持の歌碑のことも知っておられました。さすがです。

   

能登半島を回っていると「キリコ」が沢山出てきます。お祭りの際の灯のことを「キリコ」といい、それぞれの地域で工夫して特徴を出しているようです。お祭りは今年は何処も中止、残念です。

これはとぎ海街道のもの。

これは黒島の曳山。

往年の賑わいを失ったこの町は祭りの時は地域の大学生たちの力を借りているそうです。コロナ禍でそれも中止となり、又観光客の訪れも疎らな通りに、2007年能登地震で倒れ新しく作られた石鳥居が海に向かって立っています。地震で、町全体も大きな被害を受けましたが、町の人々の努力で復興し、2009年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのです。

黒島を後にし、黒島の人々が経済的に支えたといわれる、曹洞宗大本山總持寺の前を通って輪島に向かいました。

2020.8.19

 

 

 

 

 

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manabimon
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英語学習・音楽制作・WEBデザイン・体質改善など、色んな『まなび』と『教育』をテーマにnelle*hirbel(通称ねるひる)を中心に学びクリエーターチームで情報を発信しています。 YouTubeチャンネルでは、音楽×英語の動画コンテンツと英語レッスンを生配信しています。

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