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家持追っかけ旅③七尾

旅の3日目は七尾です。能登半島の交通の起点となっている町です。

七尾には弥生時代後期から古墳時代の遺跡が残っています。718年(養老2年元正天皇)能登国が設置され、国府がここ七尾に置かれました。741年(天平13年聖武天皇)に越中国に併合されました。越中国の国府は現在の高岡市にありました。748年(天平18年)大伴家持が国司として赴任、万葉集の多くの歌を詠じています。そして天平宝字元年(757年孝謙天皇)に能登国は越中国から再び分立しました。

次に「おもての日本史上」で能登が登場するのは、室町時代1493年細川氏が室町将軍を京都から追い出し、将軍足利義材が隣の射水市で政治を行った時です。この頃に守護の畠山氏は、七尾湾を一望できる石動山系の標高300メートルほどの尾根上(通称城山)に山城を築きはじめ、国府をこの城に移し、山麓に城下町「千門万戸」を一里余りも連ねました。 山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたと記録に残っており、日本五大山城(春日山城:上杉氏、月山富田城:尼子氏、観音寺城:六角氏、小谷城:浅井氏、七尾城:畠山氏)のひとつに数えられています。

七尾城は1577(天正5)年上杉謙信により陥落、能登畠山氏は滅亡しました。そして1581(天正9)年前田利家が織田信長より能登国を与えられ、七尾城に入城しましたが、時代は山城ではないと小丸山城を築きました。江戸時代には加賀藩となり、「一国一城令」により1616(元和2)年廃城となりました。

現在、城山ふもとの七尾城趾資料館(小さな資料館ですが、展示やCGがわかりやすくよかったです。日本一小さな茶室が展示されていました。)から登ると、

七尾本丸跡まで歩いて戻ってくるまで(制覇コースと名付けられています)約150分。37℃の予報が出ている中では(まあそうでなくても、ですが)とても無理です。車で城山展望台まで行きました。七尾港(香嶋津)が一望できます。展望台近くのカフェで一休み、生演奏でどなたかのお誕生日を祝っておられました。美味、素敵なカフェでした。

七尾出身の人に長谷川等伯(1559~1610)がいます。畠山氏に仕える下級武士の家に生まれ、染物屋長谷川家の養子となります。七尾駅前とフィッシャーマンズ・ワーフ能登食彩市場(道の駅)近くに彼の像がありました。七尾湾(香津嶋)沿いのフィッシャーマンズ・ワーフでは様々な食べ物や植物やお土産が売られていて、活気がありました。http://www.shokusai.co.jp/

彼の作品が見れたらなあ〜と県立七尾美術館へ。素敵な建物・空間でした。残念ながら等伯の展覧会は9月19日(土)〜10月25日(日)の開催でした。https://nanao-art-museum.jp/

国分寺町にある、「のと里山里海ミュージアム」。https://noto-museum.jp/

能登の歴史、七尾の歴史がよくわかる体験型博物館です。無料で大変楽しめました。むかしむかしから能登で営まれて来た人々の暮らしの蓄積がよくわかる展示でした。昨日仮面の土偶を見ましたが、その延長線上に、アマメハギ(ユネスコ無形文化遺産)があるのだと納得。展示には家持ももちろん登場していました。

能登群の香島の津より船立ちして、熊木村を指して往きし時にに作れる歌

鳥総立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも幾代神びそ 大伴家持(万葉集巻十七 4026)

とぶさたて ふなききるという のとのしまやま きょうみれば こだちしげしも いくよかんびそ

能登の香島の津(七尾市か)から船を出して、熊木村(中島町)を指して行った時に作った歌(このうたは旋頭歌=五七七五七七です)。

鳥総を立てて船材を伐り出すという能登島の山よ、今日見ると木立が繁っている。幾年を神さびて来たことか。

2020.葉月

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英語学習・音楽制作・WEBデザイン・体質改善など、色んな『まなび』と『教育』をテーマにnelle*hirbel(通称ねるひる)を中心に学びクリエーターチームで情報を発信しています。 YouTubeチャンネルでは、音楽×英語の動画コンテンツと英語レッスンを生配信しています。

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