manabimon(まなびもん)

熊谷守一展 わたしはわたし

熊谷守一(1880〜1977)、「モリカズ様式」といわれる、単純(に見える)形と、はっきりした色使いで私たちに強烈なインパクトを与え、魅了し続けている画家です。

山崎務・樹木希林が熊谷夫妻を演じた、2018年公開の映画「モリのいる場所」がとても印象に残っています。

30坪ほどの自宅の庭で毎日生き物を見守り続け、描いた守一。蟻の足の動き方の法則を見つけて、この絵を描いているのです。映画はそんな守一と秀子さんの生活を滋味豊かに描いています。

http://mori-movie.com/

https://www.youtube.com/watch?v=QBZtwYY-iAQ

 

伊丹市立美術館での「熊谷守一展」、本来ならば4月〜5月に開催予定でしたが、コロナ禍により、6月〜7月末の開催となりました。平日の朝で、街は閑散としているのに、美術館では多くの人が守一さんの絵に観入っていました。

1880年に生まれた熊谷守一の人生の歩みを丁寧に辿りながら、彼がどのように画業と向き合ったのかがよくわかるように展示されています。「画壇」と距離を置きながら、彼の才能を認める周囲の人の力によって彼の絵は人々に知られていくこととなります。42歳で結婚した守一は5人の子供に恵まれますが、幼い次男陽くん、次女茜さんを、戦後長女萬さんを失います。

「ヤキバノカエリ」と題されたこの絵は、真ん中の白い骨壷(の包み)が強い印象を与えます。そして右の守一自身の白い顎髭が、お骨と繋がっているように感じられます。萬さんを焼いた帰り道、悲しみに包まれて3人で無言で歩いている様子が、単純化された形と色でリアルに描かれています。

家族を顧みないで「描けない時は描かない」守一でしたが、次男陽さんの死をきっかけに生活のために絵を教える仕事をするようになり、若者に絵を教える中で、また多くのものを得ていったといいます。

病床の萬さんを描いた作品は、私たちのよく知る「モリカズ様式」ではなく、端正なスケッチ画でした。そしてその死の後に描いた「ヤキバノカエリ」は「モリカズ様式」の一つの完成形であり、彼はこの後同じ題材を繰り返し繰り返し描くことでさらに「モリカズ様式」と呼ばれる「単純な携帯と明確な色彩で対象を描く様式」を深めていきます。

昭和天皇が「この絵は何歳の子が描いたの?」と聞いたという「のし餅」。とても単純な絵でしが綿密に計算された結果の、のし餅、包丁の配置、なのですが、それは子供が直感で捉えるものと同じなのかもしれないですね。守一は決して直感だけでは絵を描いていないのだ、ということに今回改めて気づかされました。

彼が多く描いた揚羽蝶の絵も、それぞれに種類やオスメスの違いまでがはっきり見て取れるそうです。単純化されているのに識別するに必要なものが残されているのには驚きました。

「わたしはわたし」と名付けられた展覧会、多くの含蓄を含んだ熊谷守一の言葉もちりばめられていました。はじめ二時間あれば十分と思っていきましたが、あっという間に二時間が経ってしまいました。充実の展覧会、伊丹では7月31日までです。

改めて、呼吸をしないと人は生きていけない、呼吸を止めて何もいいことはない、と思いました。自然に呼吸ができることを第一にしてやっていきたいものです。熊谷守一の評伝を読んでみようと思います。

2020.7.22