manabimon(まなびもん)

9月4日〜旧暦7月28日花を愛でる家持

754(天平勝宝6)年7月28日大伴家持の歌一首

八千種(やちぐさ)に 草木を植ゑて 時ごとに 咲かむ花をし 見つつ賞(しの)はな 万葉集巻二十 4314

いろいろに草木を植えて、季節ごとに咲く花を見ながら、その花を愛でよう

家持の家の庭にはどんな花が咲いていたのでしょうか?

2021年9月4日(旧暦7月28日)我が家のベランダには、赤い朝顔が4輪、ピンクのカーネーションが2輪、白い日々草が6輪、そして白い小さな茄子の花が7輪。ここ数日雨が続き涼しい朝です。蝉の声も聞こえてきません。

万葉集にはこの後6首の家持の秋の歌が続きます。詞書によると「兵部少輔の大伴宿禰家持が独りで秋の野を思っていささかの私懐を述べて作った」ものです。聖武天皇の離宮高円(たかまど)の宮に咲く萩、女郎花を思い浮かべ、

秋の野には 今こそ行かめ もののふの 男(おとこ)女(おみな)の花にほひ見に  4317

秋の野には今こそ行こう。大宮仕えの男も女も、その花に映える美しさを見に

高円の 秋野のうへの 朝霧に 妻呼ぶ雄鹿 出でいつらむか   4319 

高円の秋の野の上を流れていく朝霧に妻を呼ぶ雄の鹿が今いで立つのだろうか

と歌いました。天然痘の流行で世の中が大きく揺らぎ、朝廷も大きく揺らいでいました。7月には、聖武天皇の母、大皇太后藤原宮子が逝去。盧舎那仏にすがる天皇。大宮人たちの心は休まることはなく、また国司の不正が相次ぎ民衆も困窮を極めていた、と記録にあります。各地に不正を取り締まる巡察使が派遣され、この後、家持も山陰に赴いたようです。この後、万葉集には防人たちの歌が続きます。

それから1367年を経て、我家の周りにも、萩の花、女郎花の花が咲いています。新型コロナの変異、感染拡大、医療崩壊が相次ぎ、迷走の末、宰相は退陣を決意、後任を巡る争いが繰り広げられています。

先が見えない不安の中でも、私たちの心は、変わらない自然の営み、美しさに癒され、力を得る。それは万葉の時代も今も変わらないと改めて感じます。様々な立場の多くの人々の良心がこの国を支えていることも。

2021・9・5(日) 雨上がり。今日は少し離れた公園までサイクリング(といっても電動ですが)に出かけました。自然をそのまま残した公園では、テントを張って中でゴロンとしている人、ボールを追いかけて遊ぶ人、楽器を奏でている人、老若男女がおもいおもいに過ごしていました。久々の青空が嬉しかったです。ひぐらしが鳴き、ギンヤンマが水面を飛んでいました。クヌギの実も大きくなってきていました。