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「現代の国語」に小説掲載の波紋!?

9月12日付朝日新聞教育欄の記事の見出し。『高校新必履修科目「現代の国語」・教科書に小説 掲載の波紋』『文学的文章除くはずが・・・1点は検定合格』『採択していいのか』『一切禁じるわけでは』『「文学も重視したい」現場とズレ』

来年度から高校の必履修科目(卒業するには必ず学び修得しなければならない科目)となる「現代の国語」の教科書に第一学習社(本社・広島市)が5つの小説を載せたことで物議を醸しているという記事です。記事の概要は以下の通りです。

新しい科目「現代の国語」は評論や新聞記事、法令文などを教材に、実社会で役にたつ国語を学ばせたい、という狙いで設定されました。文科省は説明会で「『現代の国語』は、ノンフィクションの科目であり、小説が入る余地はない」と説明しました。しかし、小説などの文学も重視したい教員側の意向とは大きなズレがあり、第一学習社の教員への聞き取りでは「(もう一つの必修科目)『言語文化』では古文漢文と文学作品が扱われるが、受験を考慮すると小説は削らざるを得ないので、『現代の国語』で小説を扱いたい」という声が多数だった、ということで、五編の小説を掲載したということです。この教科書は検定に合格し(文科省は「文学作品を掲載することが一切禁じられているわけではない」と説明しています)、都立高校では24%の学校がこの教科書を採択しています。他社は「文学作品が禁じられていないならば小説を入れたかった。文科省の二枚舌が採択の結果に影響した。」「到底納得できない」などと怒り、批判しています。

 

そもそも「『現代の国語』で学ぶ『実社会で役に立つ国語』がどういうものなのか」という疑問を私はずっと持っていました。この記事を読み、「文科省の考える『実社会で役に立つ国語』とは、『二枚舌を読み取る力』『いかようにも解釈できる文を作る力』なのだろうか」と感じました。

評論文、新聞記事などを読み解く力は確かに大事です(法令文に関しては、わざわざわかりにくく書いてある、立場によって解釈の分かれるものを、どう読み解くのか・・・と思ったりもしますが)。しかし、小説などの文学作品を読む力も、絶対に実社会で役に立つ、という確信が私にはあります。おそらく全国の多くの国語の先生がたも同じでしょう。だからこそ現場から上記のようなニーズがあり、第一学習社の教科書を採択する学校が多くあったのだと思います。

時代が変わるにつれて、必要とされるものが変わっていきます。しかし、世の中の真実をあらわす「芸術」はとても大事なものです。普遍的な真実を表現する「文学」の力を見くびってはいけません。

記事には、第一学習社の教科書は学習指導要領に従って「読む教材でないことが明確になるように訂正」した上で合格した、とありました。「読む教材」でないならば何のために「活字」で載せているのでしょうか?訳がわかりません。・・・そして結局は次のようなことになってしまうのです・・・「今後はより一層厳格な審査を行う」「今後は文学作品が安易に載ったり、少し工夫すれば載ったりする科目ではないことを理解して頂く」(文科省教科書課)。つまり二度と合格しないということですよね。何言ってるんでしょう?この人たちは。

2021・9・14(火) 文科省の中でも色々な意見がある、それぞれの立場があることと思います・・・それにしても・・・。

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たつこ
たつこ
今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねて今に至ります。心理し(士・師〜〜この二つの「し」の違いは何だろう?)です(臨床心理士・公認心理師)。喜びも多かった教員経験の中、一方で、えも言えぬ息苦しさも感じ、心理しの資格をとって、今は相談活動を行なっています。

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