manabimon(まなびもん)

姫野カオルコ『青春とは、』松田青子『持続可能な魂の利用』

姫野カオルコ『青春とは、』。

昭和33年生まれの主人公乾明子(いぬいめいこ)が語る、滋賀県の男女共学公立高校での思い出、そしてその後。スマホもコンビニもなかったあの頃、でも今と変わらない繊細な心の動き。「自分の家=常識」と思っていたけれど、それが違うことがだんだん見えてきて、「家の常識」からなんとか逃れようとする。びっくりするような大人=先生の振る舞いに目を白黒させたり、勝手気儘で理不尽な、あるいは勝手気儘だけれどいい距離感を保った友たちとの中で、育った「自分」。その「自分」は、還暦をすぎてコロナ禍の中を、今、在る。確かに在る。

本の帯には

とあります。まさに同世代、場所は違えど、男女共学公立高校を生きていた私にとっては、懐かしい当時の風景や音がたくさん思い出され、一気に読み終わった一冊でした。

とはいえ、この本は、同世代の人でなくても共感できる部分が多い本ではないかと思います。

この本は去年の11月初版です。オール讀物「2016年〜2017年」に連作として発表されたものを大幅に加筆。筆者は2018年8月のインタビューで、「この連作で書いたことが『彼女は頭が悪いから』の執筆に繋がった」「テストのことで悩んだり、気になる異性とすれ違うだけでドキドキしたりするようなハイティーンの過剰な自意識を書いていたら、近視眼的だけどすごーく一生懸命だった頃の気持ちに戻りました。そうしたら、この事件のことを思い出したんです。」と『彼女は頭が悪いから』を執筆したきっかけを語っておられます。「一生懸命だった頃の気持ち」は今だって、あの頃だって変わらないです。それぞれの家の常識や、地域の常識や、学校の常識や、世間の常識に縛られながら、過剰な自意識を持て余しながら、生きている若者たち・・・。

『彼女は頭が悪いから』はこのブログでもご紹介しました。

本「彼女は頭が悪いから」姫野カオルコ〜東大の問題=世の中の問題〜「私の名前をしって」シャネル・ミラー姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」を読みました。そしてこの事件の、そしてこの本の、受け取られ方がどうしてこんなにネジ曲がるのか考えました。知性とは何か、考えさせられました。次はシャネル・ミラー著「私の名前を知って」を読もうと思っています。...

この本について「自分の中の嫌なものを鏡に映されたような気がする『ミラー小説』なんです」と姫野さんは語っておられます。スマホやら教室内カーストやらに支配されている現在の若者たちの中で膨らんだ歪な自己肯定感、あるいは萎んだ歪な自己否定感の生んだ悲劇。それでも『彼女』は警察に電話をしました。

あの時代にも性犯罪はあったに違いない。ひょっとしてその頃の「彼女」は警察に連絡もできなかったかもしれない。それで終わりっていうことにして、でもできなくて苦しんだままだったかもしれない・・・そうなんです。「昔が良かった」という読み方でこの本は読みたくないです。でも失われた大切なものに想いを馳せる意味はあると思うのです。

今に続く「彼女」たちの受難、を『この国の「おじさん」に少女が見えなくなって、少女たちが「おじさん」から自由になる』という斬新なアイデアを盛り込んで描いたのが、松田青子著の『持続可能な魂の利用』です。

「自分たちの失敗をどうにもならなくなったところで女性に尻拭いさせるのはこの国の男たちが日常的に繰り返してきたことであり」という表現から、女性天皇が登場する際の国の在りようを思い浮かべます。そして今それでも女性天皇を忌避したがる人々の心根の在りようが浮かび上がります。

「見られない、利用されない、搾取されない、監視されない体、既存のいかなる文化体系にも属さない体」はどうすれば手に入るのか?

二冊の小説『青春へ、』と『持続可能な魂の利用』は、一見全く正反対の着地点に立っているように感じられますが、実は同じ着地点に立っていると私には感じられました。「私」が「そのままの私」でいられることは、「関係性」の中でいる限りは困難です。しかし「関係性」に囚われることなく、「関係性」を大切にしていくことで手に入るものが、きっとあるのです。二冊の小説の主題はそこにあると感じました。

2021・文月・12日(月) 尖った月が美しい夜です。