平安時代の薔薇ってどんな薔薇?というのが気になり調べてみました。
http://heian.cocolog-nifty.com/
http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN00181569-20110300-1010
などなど、多くの考察がありました。先達はあらまほしきかな・・・以下、平安時代(794年〜)の薔薇についてまとめてみました。
まず、818年成立の文華秀麗集のなかに、珊瑚色の棘を持つ薔薇をうたう詩があり、珊瑚色の棘を持つのは中国原産の薔薇の特徴で、この時期までに中国から輸入されていたことがわかるそうです(それまでの薔薇は日本に自生する野イバラ類)。
寛平年間(889年〜898年)の作と推定される「田氏家集」(島田忠臣の漢詩集)。初めて宮中に植えられた撫子(なでしこ)を讃えた詩の中に、薔薇や芍薬(シャクヤク)との比較が出てきて「薔薇は棘が嫌われる」とあります。初めて植えられた=珍しい、撫子を褒めるために、比較対象として、既に花としての一定の評価を受けた薔薇や芍薬を出してその欠点を述べているようです。だから、薔薇は棘があるから駄目なのではなく、薔薇は素晴らしい、ただ棘がある、というニュアンスだというご意見に納得。
万博記念公園バラ園の中の、芍薬の花です。薔薇に負けない美しさ華やかさです。
また、「菅家文草」(菅原道真)にも、薔薇の詩が二作。
まず、895年(寛平7年)初夏に作られた「薔薇」。これが初めて薔薇の花が讃えられ主人公となった漢詩だということです。
一種薔薇架 おなじ種(くさ)薔薇(しょうび)の架(たな)
芳花次第開 芳(かんば)しき花次第に開(さ)く
色迫膏雨染 色は膏雨(こうう)に迫(したが)いて染まる
香趁景風來 香(か)は景風(けいふう)を趁(お)いて來(きた)る
數動詩人筆 數(しばしば)詩人の筆を動かす
頻傾酔客杯 しきりに酔客(すいきゃく)の杯(さかづき)を傾(かたぶ)けしむ
愛看腸欲斷 愛し看(み)て腸(はらわた)断(た)たむとす
日落不言廻 日落つるまで廻(かえ)らんことを言わず
一種の薔薇の花棚が作られて 香り高い花がだんだんとひらく
春先の慈みの雨を受けてあでやかに色づき 南風がふくと細やかな花の香りが漂う
詩人たちはしばしば薔薇を詠み 薔薇を愛で酒を酌み交わしたものだ
薔薇を愛でてつくづく見ればその美しさは腸も断たれるほど身に沁みる
日が沈むまで帰ろうとは思わない (参考:岩波書店日本古典文学大系菅家文草)
中国では薔薇をうたう詩が詠まれていて道真はもちろんそのことをよく知っていたに違いありません。この詩は、宿直の時に東宮(皇太子)から所望された詩ということです。薔薇=皇太子、素晴らしい皇太子につかえることのできる我が身がありがたくいつまでもあなたに従います、という意味にもとれるかな、、、とこれは友人の意見。
次に、
「感殿前薔薇 一絶[東宮]」
相遇因縁得立身 花開不競百花春 薔薇汝是應妖鬼 適有看來悩殺人
東宮の住まう殿舎の前庭の薔薇に出会った。百花繚乱の春が終わってから花開くのだ。まるで妖鬼のようにたまたま目を止めた人を悩殺するのだ。
香り高く人を惑わすほど美しい花として描かれていますね。これも薔薇=東宮(皇太子)なのかもしれません。皇太子は醍醐天皇となり、道真は右大臣にまで昇進します。しかし、901年、醍醐天皇を廃立しようとした、として失脚します。まるで妖鬼にたぶらかされたような突然の出来事でした。903年道真は失意のうちに59歳で亡くなり、死後怨霊として畏れられます。
薔薇を歌った時には予想だにしなかった出来事です。
和歌では古今和歌集(905年)にただ一首のみ。
我はけさ うひにぞ見つる 花の色を あだなるものと いふべかりけり 紀貫之(巻十物名 さうひ)
私は今朝初めて薔薇の花[(うひ=初めて)薔薇(さうびとかいて「そうび」と読む]を みた。この美しい花は人の心を惑わすと皆が言っていたなあ、わかってはいたけれど今更のように感じられることよ。
「あだなるもの」の解釈には「華やかな」と肯定的に取るものと、「徒」「仇」という漢字を当てて否定的に取るものに分かれているそうですが、いずれにしても、人の心を捉えてやまない美しさをあらわしています。
貫之は道真の詩を勿論読んでいた、と考えていいのでしょうか。道真の悲劇を目の当たりにした貫之は薔薇の歌に道真への思いを込めている、と考えるのは、妄想が過ぎるかな。古今集の時代の人々は薔薇を歌にすることはありませんでした。薔薇の花の知名度が低かったこともあるでしょうが「道真と薔薇の花の結びつきが彼らに薔薇を歌うことを躊躇わせた」というのも、これまた妄想が過ぎるかもしれませんが、美しい薔薇をなぜ詩に歌にしなかったのか、他に理由が思いつきません。
芳しい香りを放ち、華やかで艶やかで、人の心を惑わすような妖しい美しさを持つという平安時代の薔薇の花。実際にどのような花だったかはわからないそうです。
庚申薔薇では?という意見もあるようですが、https://www.kobe-park.or.jp/cgi-bin/rikyu/zukan/index.cgi?file=zukan&mode=detail&select=1297506392
庚申薔薇には香りがあまりないので違うのでは?という考え方もあるようです。
ということで、私たち自身で自由にどんな花だったのか想像して楽しめます。