若き貴公子大伴家持は大変女性にもてたようです。
その中でも最も熱烈な歌を残したのが笠女郎(かさのいらつめ)。万葉集に載せられた彼女の歌29首全てが大伴家持に贈られた歌です。万葉集中の女性歌人の中では大伴坂上郎女に次ぐ2位の歌数です。
まず万葉集巻三に3首。譬喩(ひゆ)歌(=もともとはものを比喩して情を述べる方法の歌、相聞に相当する愛の歌、これは新しい分類法)に収められています。譬喩歌の始まりは紀皇女(390)で以後大伴家ゆかりの人の歌が続き、395に笠郎女が登場します。つまり家持との恋は早い時期からだった、733(天平5)年頃、家持16歳頃、から恋の歌を贈ったと考えられています。
託馬野に 生ふる 紫草 衣に染め いまだ着ずして 色に出にけり(395)
託馬野に生えるという紫ぐさで衣を染めるように、まだ着ないうちから早くも人目についてしまいましたよ、私の恋は。
陸奥の 真野の 草原遠けれど 面影にして 見ゆといふものを(396)
陸奥の真野の草原は遠いけれど面影の中に見えるといいますものを、あなたは面影にも現れてくれないのですね。
奥山の 岩本菅を 根深めて 結びし心 忘れかねつも(397)
山奥の岩の元に生える菅の根が深いように、深く約束した心を忘れることができません。
そして巻四。581に坂上大嬢の歌が登場します。彼女は後に家持の正妻となりますが、ここでは家持への恋が実らない辛さを歌っています。そして、587から「笠郎女の大伴宿禰家持に贈れる廿四首」が一気に登場します。この24首を中西進さんは4段階に分けて読んでおられます。(万葉の秀歌 筑摩書房)
第1段587から595までの歌には「恋ふ」と「思ふ」がほぼ交互に使われており、第2段596〜601は「恋ふ」のみ、第3段602〜608は「思ふ」のみ、第4段609、610は別れてからの歌である、というのです。「恋ふ」は「乞う」と通じる積極的な行動性のある言葉。「思ふ」は「重し」と通じる自己回帰的な言葉。
一気に読んでいきましょう。
第1段
わが形見 見つつ思(しの)はせ あらたまの 年の緒(お)長く われも思はむ (587)
この形見を見ながらわたしを偲んでください。あらたまの年が経るごとに長くわたしもあなたをお慕いしましょう。
白鳥(しらとり)の 飛羽山(とばやま)松の 待ちつつそ わが恋ひわたる この月ごろを(588)
白鳥の飛ぶ飛羽山の山松のようにあなたを待ち続け長く恋してきました。この幾月かを。
衣手(ころもで)を 打廻(うちね)の里に あるわれを 知らにそ 人は待てど 来ずける(589)
衣の袖を打つ内廻の里(飛鳥川を廻る里)にいる私の心を知らないであなたは待っても来ませんでしたね。
あらたまの 年の経(へ)ぬれば 今しはと勤(ゆめ)よ わが背子(せこ) わが名告(の)らすな (590)
年が経ったから今はもう良いと思って、決してあなた、私の名前を人におっしゃいますな。
わが思(おもひ)を 人に知るれや 玉匣(たまくしげ) 開き明けつと 夢にし見ゆる (591)
私の思いを人に知れたからか、玉匣の蓋を開いてあけたと夢に見えましたことよ。恋が世間に知られたようです。
闇の夜に 鳴くなる鶴(たづ)の 外(よそ)のみに 聞きつつかあらむ 逢ふとはなしに(592)
闇の夜に鳴くらしい鶴のように、よそながらあなたのことを聞き続けているのでしょうか、逢うこともなくて。
君に恋ひ 甚(いた)も術(すべ)なみ 平山(ならやま)の 小松が下に 立ち嘆くかも(593)
あなたが恋しく、ただするすべもなく奈良山の小松の下に出で立っては嘆くことです。
わが屋戸(やど)の 夕影草の 白露の 消ぬがにもとな 思ほゆるかも (594)
わが家の夕映えの中にひかる草の白露、その白露のように消えてしまいそうに心もとなく思われますことよ。
どの歌にも切ない笠郎女のこころがうつくしくかなしくうたわれています。特に、594の白露の歌の美しいこと。夕影草という名の草があるのではなくて夕方の光に照る草のことをいうそうです。夕方の光は華麗ではありますが寂寥感の漂うものでもあり、あとは暮れてゆくばかりの消えゆく光、その光と同じく美しく光る露も儚く消えていくもの・・・私の心もあなたをこいする気持ちに燃え上がっているけれどその気持ちも儚く消えてしまいそうだ・・・。
第2段 「恋」のみ。
八百日(やおか)行く 浜の沙(まさご)も わが恋に あに益(まさ)らじか 沖つ島守(596)
幾日もかかって行くほどの長き浜の砂の数だって決して私の恋心に勝ることはないでしょう。遠くから見ている沖の島の番人さんよ。
島の番人は家持への揶揄か、と解釈されています(万葉集全訳注原文付(一))。ここから彼女の恋心は一気に燃え盛ります。
うつせみの 人目を繁み 石橋(いわばし)の 間近き君に 恋ひわたるかも (598)
現実の世の人目が多いので石の橋のように、間近にいながら逢えずにあなたを恋続けるよ。
恋にもそ 人は死にする 水無瀬河 下ゆわれ痩す 月に日に異(け)に (598)
恋にこそ人は死ぬのだ。水のない川のように表には見えずとも密かに私は痩せていくよ。月日の経つにつれて。
朝霧の おぼに相見し 人ゆゑに 命死ぬべき 恋ひわたるかも (599)
朝霧のようにぼんやりとしかお会いしていないので命も絶えそうに恋い続けますことよ。
伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波 恐(かしこ)き人に 恋ひわたるかも (600)
伊勢の海の岩場に轟いて寄せる波のように身もおののくような畏敬する(ほど身分の高い)人に恋い続けますことよ。
情(こころ)ゆも 吾(あ)は思はざりき 山河も 隔たらなくに かく恋ひむとは (601)
心底私は思ってもみませんでした。山川を隔てているわけでもないのにこんなに逢えずに苦しむなどとは。
近くに住みながら逢えない辛さ、こんなに苦しく身も心も痩せ細る思いになるとは・・・どうしたことか、と自分に問いかける笠郎女。熱く燃え盛る思うようにならない恋心はやり場を失い、何もかもを焼き尽くしていきます。
第3段 「恋」という語ではなく「思ふ」という語のみが使われ、心が重く塞いでいることが表現されます。
夕されば もの思ひ益(まさ)る 見し人の 言(こと)問ふ姿 面影にして (602)
夕暮れが訪れてくると、物思いは募ります。お逢いした人の言葉をかけてくださる姿が面影に顕(た)って。
思ふにし 死(しに)するものに あらませば 千遍(ちたび)そわれは 死に返らまし(603)
もしこの思いのなかに死ぬというものなら、私は千度も死を繰り返すことでしょう。
剣太刀(つるぎたち) 身に取り副(そ)ふと 夢に見つ 如何なる怪(け)そも 君に相(あ)はせむ (604)
剣太刀を我が身におびる夢を見ました。この不思議な夢の正体はなんでしょう。あなたに寄せて夢合わせをしましょう。
天地(あめつち)の 神の理(ことわり) なくはこそ わが思(も)ふ君に 逢はず死にせめ (605)
天地の神の司る理というものがないからこそ、わたしは愛しい方に逢わないで死にましょう。だから〜。
われも思ふ 人もな忘れ おほなわに 浦吹く風の 止む時なかれ(606)
わたしもお慕いします。あなたもお忘れなさるな。多なわに浦を吹く風のように、止むときもなくありますように。
思いは心を塞ぎ、死を思い、しかし死ねないと思い、剣太刀を夢に見るほど心は切り刻まれ、それでもあなたを思う心は止まない・・・。
第4段 叶わぬ恋を諦めてゆく。
皆人を 寝よとの鐘は 打つなれど 君をし思へば 寝ねかてぬかも (607)
皆の人を寝よとて鐘は打つのだが、あなたのことを思うと寝難いものです。
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼(がき)の後(しりへ)に 額づくがごと (608)
思ってもくれない人を思うなんて大寺の役に立たぬ餓鬼像をしかも後ろからひれ伏して拝むみたいなものです。
餓鬼道におちた亡者を拝みに行く人などいない・・・そんな餓鬼(四天王などに踏まれている邪鬼と混同していると言われています)を、しかも後ろから気づかれないままにひれ伏して拝む・・・なんの甲斐もないこと、家持を愛することはそのようなことだという虚しい気持ちの辛さに苛まれながら、一方で、彼女はすでに自分を突き放して見ている。凛とした瞳が感じられます。
情(こころ)ゆも 我(あ)は思(も)はざりき またさらに わが故郷に 還り来むとは(611)
心底わたしは思ってもみませんでした。虚しく、再びわが故郷に帰って来ようなどとは。
近くあらば 見ずともあらむを いや遠く 君が座(いま)さば ありかつましじ (610)
お近くにいるのならお逢いできなくても生きていけましょうが、こんなにいっそう遠くあなたがおいでとなると生きていられそうもありません。
笠郎女は家持から遠く離れた場所に転居したようです。そしてこの別れの歌に家持はやっと二首「和(こた)」えたのです。
今更に 妹に逢はめやと 思へかも ここだわが胸 いぶせくあるらむ (611)
もうふたたびはあなたにお逢いすまいと思うから、わたしの胸は重く塞ぎ込んでしまうのだろうか。
なかなかは 黙(もだ)もあらましを 何すとか 相見そめけむ 遂げざらましに (612)
生なかには黙っている方がよかった。どうしてふたりは逢いはじめたのだろうか。この恋を遂げることもできないのに。
「もうあなたと逢うことはない」「逢ったのが間違いだった」という痛烈な別れの歌です。冷たい!!ここまで何年の月日が流れたのでしょうか。
そして続いて山口女王が家持に贈った歌が5首(いずれも叶わぬ恋に苦しみ忘れられない)大神(おおみわ)郎女が家持に贈った歌(千鳥が鳴く声が物思いにふける心に空しい)が続きます。
家持は、この間に、おそらく妾(おみなえ)と言われる女性と恋に落ち、共に暮らし、子をなしたと考えられます。しかし彼女との歌の贈答は万葉集には残っていません。激しく揺れ砕け散る心を歌う笠郎女の情熱は、慎重で生真面目な家持には重すぎたのだろう、と多くの人が語っています。
一方、妾(おみなえ)は「歌わない」「穏やかな」女性だったのではないでしょうか。これまでに何度も述べたとおり妾(おみなえ)は、739(天平11)年に亡くなります。万葉集巻三には家持の悲しみのこもった彼女への挽歌が13首(462〜474)も載せられています。
笠郎女と山口女王は巻18秋雑歌でも登場し、家持への恋心を歌っています。
朝ごとに わがみる屋戸の 瞿麦(なでしこ)が 花にも君は ありこせぬかも (1616)
毎朝いつも見る我が家のなでしこの花ででもあなたはあってくれないかなあ。
家持がなでしこの花を好んでいたことを知っていたからこその歌ですね。
秋萩に 起きたる露の 風吹きて 落つる涙は 留めかねつも (1617)
秋萩に置いた露の、風が吹いて落ちるように、落ちる涙は止めることができません。
しかしこの二人への家持の返歌はありません。この巻では1624に坂上大嬢が登場し、1625から1630までと1632の家持が坂上大嬢に贈った歌が載せられています。
何と残酷な、と思いますが、こうやって万葉集に名を残したことで彼女たちの恋心の切なさが私たちに伝わったのです。それも家持の功績と言えるのでしょうか。
笠郎女は笠金村(万葉集に45首を残す宮廷歌人、志貴皇子挽歌から登場する。)あるいは沙弥満誓(万葉集に7首を残す。大伴旅人との交流深く筑紫歌壇を形成した。)の娘と考えられているそうです。山口王女や大神王女については何もわかっていません。
追いかけて追いかけて追いかけて・・・でも叶わなかった恋。切ない恋心は今も昔も変わりません。叶わぬ恋を凛と歌い続けた笠郎女を描くとしたらどのように描くだろうか〜誰に演じてもらおうか〜などと考えます。
2020.10.6(火) 11日(日)朝8時半からNHK趣味の園芸では、「万葉の花」コーナーで、家持の愛した花「なでしこ」が取り上げられます。たのしみです。
2020.10.16(金)追記しました。萩の花はもう散り初め。