manabimon(まなびもん)

蟋蟀の歌〜湯原王

虫の声が、秋の気配の訪れ、夏の終わり、秋の深まり、秋の終わりを告げます。わたしたち日本人には当たり前のこの虫の声が、他の国の人には雑音にしか聞こえない、それは右脳と左脳の使い方の違いからくるものだ、という話は有名ですね。

1978年「日本人の脳 脳の働きと東西の文化」という本が大修館書店から発行されました。「日本人と西洋人の感性の相違は左右の脳のメカニズムの違いに基づく」ことにメスを入れて多方面に影響を与えた本だそうです。https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%84%B3%E2%80%95%E8%84%B3%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D%E3%81%A8%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96-%E8%A7%92%E7%94%B0-%E5%BF%A0%E4%BF%A1/dp/4469210684

この本の著者、角田忠信さんは、日本人とポリネシア人だけが虫の音や雨音、小川のせせらぎなどの自然音を左脳で受け止めるのに対し、その他の多くの民族は右脳で処理しているということをつきとめました。後の研究でも同様の結果が得られているということです。

虫の音を「美しいもの」と思えるわたしたちは幸せだなあと感じます。先日の「ダーウィンが来た!」によると、達人は20種類もの虫の音を聞き分けるそうです。それは達人の世界ですが、しかし、様々な虫の声の合唱に心が動くことは、私たちの日常ですよね。今もしきりに虫の声が聞こえてきます。今日ちょっと嫌な出来事がありましたが、この声に耳を傾けながら、夜空に光る星をみていると、そんなことは、どうでも良くなってきます。

万葉集にも虫の音の歌は七首あります。全ての鳴く秋の虫は「蟋蟀」と表現されているようです。その中の一首。

夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に 蟋蟀(こおろぎ)鳴くも  万葉集巻八 1552 秋の雑歌 

月の明るい夜、心もしなえる(しなやかにたわむ)ように白露の置くこの庭にこおろぎが鳴いているよ、それを聞くと我が心もしんみりとする。

「夕月・白露・蟋蟀すべての景物が「しの(しんみりとしみじみと)」である。」と「中西進・万葉集(二)講談社文庫」の解説にはあります。しんみりとしみじみと秋の夜を過ごしている若き貴公子の姿が浮かび上がります。

この歌の作者湯原王は、天智天皇の孫でありながら、叙位任官の記録がなく、政治面での足跡は残っていません。万葉集屈指の歌人志貴皇子が彼の父、彼はその才を受け継ぎ、天平年間初期(730年以降)に歌われたと想定される美しい歌を、万葉集に19首のこしており、万葉後期の代表的な歌人といわれています。

大伴旅人が亡くなったのが731年、山上憶良が貧窮問答歌を歌ったのが732年、有名な秋の七草の歌が733(天平5)年で山上憶良はおそらくこの歳に亡くなっています。この、733年、湯原王が登場します。月の歌2首(巻六雑歌)。

天(あま)に坐(ま)す  月読壮子(つくよみおとこ) 弊(まひ)は為(せ)む 今夜(こよひ)の長さ  五百夜(いおよ)継ぎこそ   985

天上においでの月読壮子よ。贈り物をしましょう、だから今夜の長さは500夜も続いて欲しい。

愛(は)しきやし は近き里の 君来むと 大のびにかも 月の照りたる 986

愛しいことよ、近くの里に住む男性たちも訪れてくるだろう、と、隈なく伸びやかに月の光の照り渡ることよ。

何か良いことがあったのでしょうか。人々が集まり月を見る宴をおこなったのでしょうか。里の人々と湯原王とはどのような繋がりがあったのでしょうか。あたたかな愛情と伸びやかな自然の中の交遊が浮かび上がってくる歌です。

湯原王の兄弟(=志貴皇子の子ども=天智天皇の孫)の白壁王は770年、称徳女帝の崩御後、62歳で光仁天皇となっています。この時、湯原王はおそらく亡くなっていたと考えられます。天武系の皇子たちが力を持つ微妙な立ち位置の中で、無位無冠を貫き、風流に生きた湯原王の姿と、29歳まで無位無冠だった白壁王の姿は重なります。

湯原王について特筆すべきは、巻四相聞にある長い恋の歌のやりとりです。政治に背を向け風流に生きる「男」を主人公にした伊勢物語にも影響を与えているというこの歌の物語についてはまた後ほど。

2021・9・29(水) そういえば、万葉集には星の歌も少ないです。当時の空には満天の星が輝いていたと思いますが人々の心はより月に惹きつけられたのでしょうか。不思議です。