manabimon(まなびもん)

呉の町での宿は「無垢 入船の宿」でした。新しくリニューアルオープンして約一年ということでタクシーの運転手さんたちはわかりにくかったようです。気持ちのいいとてもいい宿でした。

https://hotel-muku.jp/

夕食から帰った後、このバーで一杯いただきながら(サービスでした)の、おかみさんとのおしゃべりがとても楽しかったです。

翌日は雨(大雨警報が出ていましたが、それほどひどい雨ではありませんでした、返す返すもエトセトラに乗りたかったです)。

宿から歩いて、入船山記念館に向かう途中、旧下士官兵集会所横で、こうの史代さんの『この世界の片隅に』の登場人物たちと出会いました。懐かしい、すずさん。

ここは美術館通り(旧海軍病院坂)、呉市立美術館(市で美術館持っているなんてお金持ち!)前を通ります。

入船山記念館に入ると https://irifuneyama.com/

という敷石を踏んでチケット売り場へ。大雨のせいか、わたしたちだけで独占、スタッフの皆さん親切にしてくださいました。

呉市は軍港だったので、徹底的に爆撃を受けました。しかし、アメリカ軍は日本占領後、この地を利用するつもりがあり、呉鎮守府司令長官官舎周辺は爆撃を受けませんでした。戦後、そこに入ってきたのは、オーストラリア軍。彼らは官舎の内外を白いペンキで塗って利用したそうです。日本に返還されたのち、その白ペンキを剥がし、昔の(二代目)官舎を復元しました。

 

重厚な壁紙、天井、は大変手の込んだ金唐紙が使われています。 https://irifuneyama.com/%E5%85%A5%E8%88%B9%E5%B1%B1%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E9%87%91%E5%94%90%E7%B4%99%E3%81%AE%E3%81%94%E7%B4%B9%E4%BB%8B/

調度品も手が込んでいます。ストーブが可愛らしかった。

長官のプライベートスペースは和式の造りになっています。窓からの庭の景色が美しいです。また地元の高校の華道部の展も行われていました。いいですね。

 

「鉄の棺桶」と呼ばれた、人間魚雷『回天』の実艇です。この型式のものは生産が間に合わず、実際に使われることなく終戦を迎えたそうです。飛行機といい、魚雷といい、特攻隊として亡くなった方々の無念を強く感じました。

大和ミュージアム横のカフェで「海軍カレー」を食し、またもやおしゃべりに花を咲かせながら、広島に向かい、解散しました。

楽しい旅でした。

2024年6月22日