詩の世界

万葉の花〜ツバキ2〜防人歌(家持と今城③)

万葉の花〜ツバキを詠んだ歌は8首です。

その中から一首、私は防人歌を選びます。

わが門(かど)の 片山椿 まこと汝(なれ) わが手触れなな 土に落ちもかも

右の一首は荏原郡(えばらこおり=東京都西南部)の上丁(かみよばろ=上級の丁)物部広足(もののべのひろたり)            (万葉集巻二十・4418)

我が家の門の片山椿よ、妻よ、本当にお前はわたしが手に触れないのに土に落ちるのだろうかなあ。

片は真の反対で、半端。山椿は野生のもので、妻だけを残していく状態を、「片」山椿と比喩しており、「片山椿」は妻を指します。美しい妻に触れないままに妻は年老いて土に落ちてしまうんだろうか・・・という不安な気持ちが込められた歌です。

この歌は、天平勝宝7年2月20日に、武蔵国の部領防人使掾(さきもりのことりづかいじょう)安曇宿禰三国(あづみのすくねみくに)が提出し、大伴家持が収録したものの中の一首です。この前後、家持は防人らの気持ちを思う長歌・短歌を多く作っています。2月23日の作では、「防人の別れを悲しぶる情(こころ)をのべたる歌一首あわせて短歌」として、「天皇の任命のままに、島守として旅立ちしてくるとき、母・父・妻子たちは嘆き悲しみ私を引きとどめようとした。幾度も幾度も家を振り返りつつ遥か遠くにやってきた心は安らかにはならず苦しいものだ。人の命の先の知れなさに、私が帰るまで家族がどうぞ無事であるようにと住吉の神に祈りつつ、難波津を漕ぎ出したと家族に告げてほしい。」という臨場感溢れる内容の長歌(巻二十・4408)に続き、

み空行く 雲も使と 人はいへど 家づと遣(や)らしむ たづき知らずも   大伴家持 (巻二十・4410)

空を流れる雲も使いだと人はいうが、家への土産を託する手立てがないよ。どう伝える事が出来るのだろうか。

という当事者の心情を表す短歌群(4409〜4412)が添えられています。家持にとって防人たちの悲哀は人ごとではないものだったことがよくわかります。

都を離れ越中国に赴任したことのある家持(弟書持の急死に立会えなかった)には、さらに遠い東国から、九州に派遣されて行く防人たちの心細さや悲しさや辛さがよく理解できたのでしょう。また防人たちは、家持に縁の深い難波津から九州の筑紫(幼い頃に父旅人と過ごした場所)であった事も影響しているでしょう。

家持の防人への深い思い入れがなければ防人歌は今に伝わることはありませんでした。国家防衛の最前線に立たされた防人の悲哀、は今も多くの人の心を動かします。ありがとう家持。(戦いは今もなくなることはありませんが常に弱い立場の人々をより不幸にするもの。断固として反戦の気持ちを持ち続けたいもの。)

そして家持の腹心の家臣として防人歌の収集に尽力したのが大原今城

家持の喜びと悲しみ〜插頭(かざし)② 〜今城插頭(かざ)、花や木を頭に挿して寿を祈る風習。ヤドリギを歌うのは万葉集中には1首のみで大伴家持の越中国での喜びが伺えます。また萩を歌う歌を二首並べると大伴家持の劇的な人生が浮かび上がってきます。...

です。その今城の館で行われた宴で、今城を館の庭に植えられた椿にたとえ、讃えた歌が万葉集中最後のツバキの歌となります。757(天宝勝宝9)年3月4日の家持の歌です。

あしひきの 八峰の椿 つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君 大伴家持 (巻二十4481)

あしひきの幾重もの山奥に咲くはずの椿だから、椿の花はつらつらといくら見ても飽きない。そのようにいくら見ても飽きないこの椿を植えたあなたを。

ありがとう今城。

2020.12.19(土)厳しい寒さに雪の積もっているところも多くあります。今、空には美しい四日の月が出ています。その右下に木星と土星が見えます。400年に一回の木星と土星の大接近が21〜22日だそうです。https://www.vixen.co.jp/activity/conjunction_of_planets/

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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