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万葉百景〜中西進 写真・笹岡弘三

友達に、中西進さんの「万葉の秀歌」を教えてもらい、図書館検索をしたらなくて、この本を予約し借りてきました。万葉集に登場する場所を、笹川弘三さんが撮影し、その写真に中西進さんが文章を添えておられます。

まず、笹岡弘三さんの写真がとても素晴らしいです。一枚一枚が荘厳な光りと影を捉えているように感じられます。

「はじめに」で中西さんが、「万葉集を写真で検証しようと」せず、「豊潤な情感を抱いて万葉歌の心を撮った」、「撮影は何年にも及んでいるが、苦労しましたなどど語りかけてくる写真は一枚も見当たらない。とにかく小ざかしさがなくてまことに万葉的なのである」と書いておられますが、まさしくその通り。

そして中西進さんの文章がまた圧巻です。

最後百首目は、やはり万葉集最後の歌「新しき 年の始の 新春の 今日降る雪の いや吉け吉事 (大伴家持 巻二十4516)」でした。

中西さんは、橘奈良麻呂の乱に触れておられ、家持は「因幡に追いやられたのである」「因幡は負の形でしか万葉に登場しない」。そして、このブログで取り上げた、家持送別の催と萩の歌(巻二十4515)、についても触れておられます。「(大原)今城はその母が前夫との間に今城を産んだ後旅人の妻となったから、家持とは義理の兄弟という間柄だった。越中における池主のように、このころもっとも親しい人物が今城だった。」「植物を插頭すとは無事を願う祈りだったから、萩を插頭にすることもなく別れるというのは、深い嘆きを込めたものであった。」

因幡国庁跡を襲う地吹雪きの写真は、一幅の絵画のような、深い藍色に雪が染まっている美しい写真です。そして中西さんの文章は「庁の森には冒頭歌の碑が建ち、妙にうす暗く歴史を凝集しているように思える。私はいつ訪れても、曇天や小雨だったことを、いま思い出している。〜この歌以後の家持の歌は、今日さだかではない。そしてまた万葉もこの一首をもって二十巻を閉じる。」と閉じられています。

この本は1986(昭和61)年刊。古い本ですが色褪せません。ぜひ図書館で借りてご覧ください。

2020.長月