社会をまなぶ

MKULTRA計画〜フランケンシュタインの誘惑 科学史闇の事件簿

初代世界精神医学会会長、ユーウィン・キャメロン。スコットランドに生まれ、ロンドンで学び、カナダの精神病院で働き、1928年モントリオールのマギル大学アラン研究所の所長となった彼は、より良い社会を作るために精神疾患を治療しようと、鍵を掛けない病室・デイサービスを世界で初めて導入し、多くの人から尊敬されました。

1935年の論文でキャメロンは、「治療=人間の行動をコントロールすること」と定義し、フロイトの精神分析を否定し、カメラやテープレコーダーを使った客観的・観察中心の治療を主張しました。

1945年ニュールンベルク裁判で戦犯責任能力の有無を鑑定する仕事を任されたキャメロンは、ごく普通の人々が残虐な行為を行うことになったドイツの状況を、自分の意思とは別に魂を明け渡してしまう一種の集団精神病=国民そのものの病、と受け止めました。

1950年、キャメロンは「昏睡状態にすることにより、性格を作り直す」=「トラウマが脳にダメージを与えており、トラウマを克服するには、人間を白紙化する必要がある」という視点に立ちます。そしてまず、LSDを大量に投与して昏睡状態を作る治療を行いましたが、再び症状が出るという結果となりました。そこで、電気ショックを当時の通常の治療の40倍の強さで毎日行う(当時は2日に1回でした)ことで効果をあげましたが、それは長続きしませんでした。

1953年、本人の嫌がる言葉を聞かせ続けることで、表情が変化し取り乱し、「嘘なんかつきません、止めてください」と謝ると変化した統合失調症の女性について、「性格が素直になり、人間の白紙化が成功した」と捉えます。同じ治療?を4人の統合失調症の患者に試した結果皆「素直になった」そうです。

キャメロンは、更に、睡眠学習の記事に注目し「サイキックドライビング=精神の操縦」を行います。電気ショックを与え昏睡状態に陥らせ、嫌な言葉を繰り返し聞かせるのです。その時、患者には黒いゴーグルや手袋が装着され、音声のみに集中させるのです。1日15時間1週間・・・1週間後にはメッセージを変えます。「あなたは紙切れを拾う」というメッセージを3日間聞かされた患者はおとなしくいうことを聞くようになった・・・それを新しい治療法として、1956年カナダの新聞が「役に立つ洗脳=サイキックドライブング」と賞賛の記事を乗せました。キャメロンの名声は上がりました。

そんなキャメロンに注目したのがCIAアメリカ中央情報局でした。1950年朝鮮戦争で捕虜となった米兵が「アメリカに帰りたくない」「共産主義礼賛」の発言をするようになったことから「洗脳」する方法について研究しようとしたのです。1953年MKウルトラ計画がシドニー・ゴードリーブ(CIAの毒殺部長といわれた人)の元開始されます。

1958年以後キャメロンの研究は洗脳そのものが目的になっていきました。サイキックドライビングの人体実験は数百人におこなわれました。初めは重篤な精神病患者に対してのみだったのが、関係なく多くの人に行われるようになりました。例えばチャールズ・タニーさんは右の頬の顔面神経痛で、キャメロンの元を訪れましたが、キャメロンはこれを心因性と断定し、サイキックドライブングを行い、その結果チャールズ・タニーさんは廃人と化しました。もちろん患者たちは自分たちが人体実験にさらされている事など知りません。

キャメロンの名声は上がり、1961年世界精神医学会会長となります。しかし、1961年ジョン・F・ケネディが大統領に就任すると逆風が吹きます。「洗脳」の効果が上がらないことから計画の見直しを迫られたCIAは視察官をキャメロンのアラン研究所に送りました。そして、虚ろで焦点の定まらない目をした患者たちを目にし、信じられないくらい成果が出ていないことに気づきました。資金は凍結され、MKウルトラ計画は極秘のうちに終わります。

キャメロンは1964年マギル大学を退職します。副所長だったロバート・クレグホーンが所長となり、キャメロンの実験の追跡調査を行い「効果が全くなく、患者が記憶喪失になるのが当然の方法だ」と断定し、サイキックドライブングは禁止されます。キャメロンは、良くなった例のみを報告しており、それは詐欺のようなものでとても科学者とは言えない行為だったのです。キャメロンは1967年登山中心臓発作で亡くなります。65歳でした。

1974年ニューヨークタイムズのスクープで、MKウルトラ計画の存在が明らかになりました。90億円もの予算を投じ、1万人もの人に人体実験が行われたのでした。1980年には人体実験の被害者たちが、国とCIAを訴えます。うつ病だった女性は「もしかしたら違う人生を歩んでいた」とその苦しみを語りました。先述したチャールズ・タニーさんは「良い父親」だったのに「顔面神経痛」の治療から戻った時は「暴力的で子供のような話のできない父親」に変わっており、家族の崩壊をもたらしました。情報公開請求により当時の資料が公開されました。1957年の治療の様子が生々しく書かれています。「患者は自分がどこにいるかわからず、元気で子どもっぽい。我々が求める段階に達した」・・・結果失禁をくりかえし、家族もわからない状態になってしまったのです。

しかし、ずっと、責任を認めない政府やCIAの態度に、1988年75万ドルの支払いでの和解を飲まざるを得なかった患者たちは裁判費用を払うとごくわずかのお金しか手元に残らなかったそうです。一方、2021年現在、500人以上の被害者が裁判を続けているそうです。

犠牲者のみを残したこの実験は、拷問の手法としていまに受け継がれています。対諜報尋問マニュアルには「痛みによる脅迫は逆効果であり、精神的に追い詰める方法に効果がある」とあります。暗い部屋で同じフレーズを聞かせるキャメロンのやり方は、拷問なのです。「音や光を消し、感覚を制限する一方で、一定の音に晒し続けると、耐えられなくなり、重要な告白をする」とマニュアルにあります。2003年のイラク戦争におけるルワンタナ収容所での捕虜の様子は、ゴーグル、ヘッドホン、グローブをつけさせられており、キャメロンの実験と同じです。これは拷問です。新しい拷問の方法なのです。

キャメロンは読書好きで、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を愛読していたそうです。理想の人間を作ろうとして怪物を作ってしまったお話です。

理想を求めながら闇に陥ってしまった科学の闇を取り上げた番組、見応えがありました。https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/

https://www.nhk.jp/p/ts/11Q1LRN1R3/list/

「科学の闇」は、同時代的には見えにくいものです。どうすれば「闇」を見抜けるのか考え続けていきたいものです。

2022年9月21日(水)旧暦8月26日

ABOUT ME
たつこ
たつこ
今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です