manabimon(まなびもん)

すみれの歌 西行

万葉集のすみれの歌について書いたところ、友たちが、すみれにまつわる話を色々送ってくれました。

まずは、西行法師のすみれの歌から。

古郷(ふるさと)の 昔の庭を 思いいでて すみれ摘みにと 来る人もがな (山歌集)

ふるさとの昔の庭を思い出してすみれを摘みにと来る人が、いてくれれればいいなあ。

あとたえて 浅茅(あさじ)しげれる 庭の面(おも)に 誰(たれ)分け入りて すみれ摘みけむ【摘みてん】 (山家集)

跡を継ぐ人も絶えてしまい荒れ果てて浅茅が繁っている庭に、誰がわけ入ってすみれを摘んでいたのだろう【摘みてん→誰かが分入ってすみれを摘んでいたのに違いない】。

誰ならむ 荒田(あらた)の畔(くろ)に すみれつむ人は 心のわりなかるべし  (山家集)

誰であろう、戦乱で荒れ果てた田の畦ですみれを摘んでいる人がいるが、きっとあの人は何ともいえない思いに駆られてスミレの花を摘んでいることであろう。

すみれさく よこのの茅花 さきぬれば おもひおもひに 人かよふなり (山家集

すみれの花が咲く横の野原の茅花が咲いたので思い思いに人が通って来るよ。

茅花(つばな)抜く 北野の茅原 あせ行けば 心ずみれぞ 生ひかはりける(山家集)

茅花を抜いて食べるので、北野の茅原がまばらになっていくと、心を澄ませてくれるすみれが、茅萱にかわって生えたことだ。(心澄むとすみれが掛詞になっています。)

茅花は若い花の穂のことで、かじると甘いので食用となっていた。浅茅も茅萱のことです。漢方では地下茎を止血や利尿などに用いており、地下茎もかじると甘いそうです。

すみれもまた、食用にも薬用にも使われていて、どちらも皆が摘みにくる野の草ですね。西行の生きた時代は、平安時代から鎌倉時代にかけての動乱の時代。戦が繰り返されてあちらこちらが荒れている、人の心も荒れている。そんな中で、西行は、美しく咲くすみれの花に、人の美しい心や毎日の暮らしを大切に思って歌っているのでしょうね。

友人言「多分西行はすみれを摘んで干したものを携行していたと思います。西行自身か懐かしい昔の恋人がすみれを摘んでいるのか?ちょっと昔の恋を思っているのかなぁと思います。そして最後の歌は万葉集の「茅花(ちばな)抜く 浅茅(あさじ)が原の つぼすみれ いま盛りなり わが恋ふらくは  大伴田村大嬢」茅花を抜いて食べる浅茅の原に生えるつぼすみれは、いま花盛りです。私があなたにお逢いしたく思うこともまた〜〜。)を踏まえているようにも思えます。」

北面の武士から出家して日本国中を旅して回った西行という人は、不思議な人、魅力的な人です。

 

さて、西洋でも、古代ローマ時代から、スミレには頭痛や二日酔いを治す薬として使われていた歴史があるそうです。

また、ハプスブルグ家の皇妃エリザベートが、すみれの花砂糖漬けを好んだのは美容効果のためだったそうです。オーストリアのハプスブルク家御用達、200年の歴史を誇るお菓子屋さんデメルのすみれの砂糖漬けは、とても美しいです。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%83%A1%E3%83%AB-DEMEL-%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%81%AE%E7%A0%82%E7%B3%96%E6%BC%AC%E3%81%91-%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88-%E7%A0%82%E7%B3%96%E6%BC%AC%E3%81%91/dp/B01FMDHS90

去年3月はじめ、友の一人はすみれの花の砂糖漬けを実際に作って皆の集まりに持参してくれました。あの頃はマスクもせずに皆で会っていたのでした。

一年前がとても遠く感じます。新型コロナ感染の影響で私たちの日常が大きく変わりました。友たちとも、離れている家族とも、気軽に会えなくなってしまいました。西行の体験した「戦乱」とは違うけれど「乱世」であることは間違いないとおもいます。西行の歌にあるように、私たちの心は「わりなかりけり」(どうしようもなく辛いという気持ちだなあ)という状態です。しかしすみれをはじめとする野の花や自然の移り変わりの姿は、私たちの心をなぐさめてくれます。そして、友たちとの様々なやりとりが、また、私たちの心をなぐさめてくれます。

2021年3月21日(日)今日は「世界詩歌記念日」(ユネスコ1999年設定)だそうです。うつくしいことばのやりとりって素敵ですね!

追記)友人から、京都叡山電鉄の線路に咲く白すみれの花の写真が送られてきました。健気ですね。叡山電鉄の線路には白や紫のすみれが、けっこう咲いているそうです。強いんだね!