manabimon(まなびもん)

梅雨(卯の花を腐らせる雨)の合間・家持の人間愛

大伴家持に次のような一首があります。天平勝宝2(750)年5月、霖雨(長い雨)の晴れた日に作った歌です(今の暦では6月なかばから7月初旬)。

卯の花を 腐す霖雨の 始水逝 縁る木屑如す 寄らむ児もがも(うのはなを くたすながめの みずはなに よるこづみなす よらんこもがも)  万葉集巻19 4217

卯の花を腐らせる長雨の流れる水に寄せられてくる木の切り屑のように、私に寄りそう娘がいて欲しいなあ。

家持32歳、越中国守として赴任して4年、誰か意中の人がいたのかもしれません。この歌の前の歌には5月27日、と日付があるのに、この歌にはありません。そしてこの歌の次に

鮪衝くと 海人の燭せる 漁火の ほにか出でなむ わが下思ひを(しびつくと あまのともせる いさりびの ほにかいでなん わがしたおもいを) 4218

鮪(まぐろ)を衝くと漁師がともす漁火のように人目についてしまうだろうか。私の下心は。

が続きます。この19巻は家持自身が筆録したと考えられており、この二首をわざわざこの年の5月の最後に配置したのはどんな意図があったのでしょうか。梅雨の長雨の中の晴れ間に心動かす女性の姿を思い浮かべている家持の様子が目に浮かびます。そのほのかな恋心を残しておきたかったのかも・・・。

2021・5・22(土) 梅雨の晴れ間、洗濯物ができて嬉しいです。

追記1)この文章を読んだ友達が早速野生のダイナミックな卯の花の写真を送ってきてくれました。

追記2)別の友人からは、「卯の花腐しの雨とは、旧暦でももう少し早い時期の雨、梅雨の前の雨を指す言葉ですね」との指摘も受けました。卯の花は卯月に咲くから卯の花と呼ばれている(卯月=四月)ですものね。ただ、越の国(北国)の夏は都よりゆっくり訪れるのかもしれない、それで皐月の歌となったのかもしれません。都だけが日本ではない・・・そういうわけで「卯の花腐しの雨」が梅雨時の雨をさす、という説明も多くあるようです。

また、「卯の花=うつぎ(空木)の花は、呪法や田植えの予祝行事や、占いに使われたようですよ」との言葉ももらいました。この言葉に触れて、私には、家持が越中国守としてそういう様々な季節の行事に参加した風景が浮かんできました。都での官吏としての生活ではあまり触れることのなかった農業の営み、全く触れることのなかった漁業の営み、に直に触れ、生活する人々の生き生きとした表情に触れ、動いた家持の心。生活する人々への愛に満ちた彼の感受性を実感し、4217・4218の二首がこの場所に遺っていてくれて「ありがとう」と感謝の気持ちを持ちました。