Eテレで12月11日夜10時から放送された「ドキュランドへようこそ」はスペインのドキュメンタリー「出産しない女たち」でした。放映前に、朝日新聞テレビ欄の「フォーカスオン」で守真弓さんがこの番組についてコメントを書いておられました。
そのコメントから・・・世界各地にある、子供を持たないことを「エゴイスト」「幼稚」とする言説に対して、番組は「母性」を否定するのではなく、『「母性」のような無償の愛を母親だけに押し付けるのはおかしい』という点を伝えようとしています。久米麻子チーフプロデューサーは「一貫しているのは『自分たちの体、考えは自分たちのもの』という普遍的なこと。成熟した社会ではこんな議論があって欲しいという願いを込めて選んだ。」
11日番組を視聴しました。たくさんの女性たち、様々な場面、が次々と登場し、「女性に求められる大きな役割=母親」について語ります。子供がいない自分自身をネタにするコメディアン、作家、助産師、哲学者、大学教授、心理学者、法律家、などなど。https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/K769919LP3/
ケイト。「『母親にならない女性は劣っている、社会への貢献に欠けている』という女性への圧力が多少なりとも減った今に生まれてよかった。」
スペインでの授業風景。「母親にならない女性は利己的。」や「母親になるとアイデンティティが失われる。」という意見が、性を問わない若者たちによってたたかわされます。
ヘマ・カノバス(心理学者)。「これ以上子どもを産まない女性が増えると困るという危機感から『子どもを産まない女性は孤独』というイメージを植え付けようとしているのだ。」
サラ・ディール(作家)。「オリンピックの選手になるかならないかを選択できるのと同様、母親になるかならないかも、選択できるはずなのに、母親にならない私はどこかおかしいんだと思い込まされている。物書き夫婦には、家族からのプレッシャーはなかったけれど、社会からのプレッシャーはあった。」
マリべル(助産師)。「子どもが生まれる瞬間に立ち会うことの素晴らしさをこの仕事に感じる。でも子どもが生まれたときに感じる幸せは幻想なの。10代の頃から子どもを産むのは私の役割ではない、と思うようになり、以後も子どもを産もうとは思わなかった。」
サラ・フィッシャー。「『母親にならなければよかった』というを本を出版したとき、脅かされた。写真家として活動し、一年のうち半分以上は旅をしており、子供が生まれても初めの2年は旅やライブショーを続けましたが、ストレスが多く辞めたの。」
「母性本能という概念は人類最大の欺瞞だと思います。人間の女性と動物の雌を一緒にしてしまっている。女性は生き物であっても他の動物とは違います。」「親の幸福度は子どもが生まれた瞬間に急降下、子どもが家を離れた瞬間に急上昇。母親になると幸せになるよう抑圧され、不平を言うことは許されないから。」「歴史的に見れば、戦争中など社会が女性を必要とする時期には女性は幸せに社会で活躍できます。しかし、そうでないとき、他人の世話をし奉仕する仕事は女性を資源とすればいいと、社会は女性を抑圧します。」
アナ・法律家。「社会全体による子育てという考え方は重要です。カナダでは最大四人が子どもの親になることができるという法律が設定されました。」
ルイサ。「18で妊娠し『楽しんだのならその代償は受け入れなさい』と言われ、娘を産んだ。初めのうちは良い母になりたくて、大人の女性のふりをしていた。でも本当は母親になりたくなかった。勉強をするようになり、ネット上で発言するようになり、母親であることへの疑問を投げかけたら、激しい非難に晒された。子どもは愛しているけれど縛り付けらるのは嫌だということが、人々は理解できないのです。」
エリザベート・哲学者。「母親を聖母のように神格化するのはやめたほうがいい。」
多くの女性の語る言葉は、間違いなく私自身が生きてきた間に感じてきた実感と通じるものがありました。多くの人々から言われ、自分の中にもそんな思いが巣喰いました。「女なのに」「女だから」「支えることが大事」「意見を言うと嫌われる」「正しいことを言っても面白くない」「世の中には通じない」などなど。
そして、この番組を見た後に、図書館で長い間順番待ちだった「82年生まれ、キム・ジヨン」を借りることができ、読みました。精神科の医師のカルテの形をとる物語、一気呵成に読み終わりました。ジヨン氏も間違いなく、上記の女性たち同様の思いを積んできたのでした。
「キム・ジヨン氏が自ら選んで私の前に広げてみせてくれた人生の場面場面を聞いてみて、私は自分の診断が性急だったことを悟った。間違っていたという意味ではない。私のまるで考えも及ばなかった世界が存在するという意味である。」という、ジヨン氏の担当医(男性)の言葉は示唆に富んでいます。
彼は、同じ医師である優秀な妻が、教授になることをあきらめ勤務医になり結局仕事を辞めていく過程を見ていました。そしてジヨン氏に深い理解を示し、ジヨン氏が(もちろん妻にも)「絶対やりたくてやるという仕事」を見つけてほしい、と心から思うのです。
しかし一方で、病院スタッフのイヨン先生が、流産の危機を理由に辞めていくことに対して、あえて辞めなくても、と思いつつ、その後の出産時や子育て時期のことを考えて「今辞めてもらってうまくいった」と安堵するのでした。そして「後任には未婚の人を探さなくては・・・。」と考えるのでした。
担当医の持つダブルスタンダード、それこそが私たち女性を取り巻く現代社会そのものです。
解説の伊東順子さんは、「この小説には、夫のチョン・デヒョン以外の男性には名前がなく、女性のみに名前がつけられている。女性たちにはフルネームが与えられている。」「これは強烈なミラーリングである〜男たちに名前など必要はない。」と指摘しておられます。そうです〜女性は「名前など必要ない」、〇〇さんのお嬢さんから始まって〇〇さんの奥さん、〇〇さんのお母さん、お婆ちゃん、と呼ばれるのが当たり前だったし、そのような状況は、今も根強く女性たちを囲んでいます。
男・女という性で分けるのではなく、その人個人として、認められ、充足できる生活を求めて、まだまだやることはたくさんあるのだろう、さて自分は?と考えさせられた、テレビ番組「ドキュランドへようこそ」https://www.nhk.jp/p/docland/ts/KZGVPVRXZN/
・本「82年生まれ キム・ジヨン氏」https://www.chikumashobo.co.jp/special/kimjiyoung/
でした。
2020.12.19(土) 世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指数で、昨年、日本は153カ国中121位と過去最低に転落したそうです。韓国は108位でした。
https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2019/202003/202003_07.html