やたら長いタイトルです。
『酒をやめられない文学研究者とタバコをやめられない精神科医が本気で語り明かした依存症の話』
高橋源一郎さんの『飛ぶ教室』で聞いて、本を購入しました(図書館にはまだ入っていなかった、、、うーん、、、新刊書が入るのが遅すぎます)。
お二人共、自分自身をかなり曝け出して、往復書簡をやりとりしています。「人が健康的に生きるためにはある程度の不健康が必要なのだ、と、声高に叫びたい」と、タバコをやめられない医師の松本さん、「これまで依存業界で、真実、と信じられてきたものの多くが、実は、あたかも歯槽膿漏の歯茎みたいに脆弱な地盤に打ち立てられた、暫定的仮説に過ぎないことに気付かされます」と言い切ります。
確かにわたしたちが「常識」とか「当たり前」と思ってきたことの多くが、実は、全然「常識」でも「当たり前」でもなく、時代の流れや、よって立つ場所によって変わるものだ、ということは、たくさんあります。
「常識」を打ち崩すために、松本さんは、自身がタバコをやめられないことを公にする決心をしましたが、往復書簡相手の横道さん、「当事者臨床哲学者」の「心のパンツ」の脱ぎっぷりが凄くて、お互いの、思索が思いの外に深まった、、、、と前書きに書いておられます。
この対談を読むことで、たくさんのことを学びました。
特に印象に残った内容をいくつか・・・
「回復の鍵を握るのは〜〜〜、重要なのは、治療法ではなく、非特異的なもの、つまり支援者や仲間とのつながりー私はそれを『回復のコミュニティ』と呼びますーを維持することであり、酒や薬をやめているかどうかはもはや二の次である」(松本トシさん)
自助グループで、横道マコトさんは、「当事者研究」と、「オープンダイアローグ的な対話実践」を中心に据えています。「オープンダイアローグ」は、患者に与えるメッセージの複数性、多様性、限定性を肯定しているので、マコトさんにとってはとても安心できるというのです。
松本トシさんは「日本大学の学生による大麻使用の問題」について、「顔写真付きの実名報道」で、「公開処刑」したメディアへの批判を述べます。被害者がいるわけでもないのに、将来ある学生をとことんまで叩き潰そうとする反面、同時期に表面化したジャニーズ問題には沈黙を守る、グロテスクな有り様について、横道さんも語ります。
横道マコトさんは、また、東畑開人さん(「ふつうの相談」の著者)と松本医師(トシ)との対談で、トシさんが「相談するのが苦手」「助けてって言えない」と口にするのを見て、「他者を否定せず、説教しない。わかった気になった発言をしない」自助グループってやはりすばらしいものだと、感じた、と書いています。そして、トシさんに「自助グループにいけば良い」と回答するのでした。
横道マコトさんは、宗教二世というトラウマを抱え、また、発達障害、アルコール依存症、睡眠時無呼吸症候群、緑内障、糖尿病、という診断を受けました。彼は、自助グループを多数主宰(4年間で500回!)することで、ライフスタイルを抜本的に変えていき、アディクションとの穏やかな和解を進めつつあると感じているといいます。
松本トシさんは言います。「アディクションはリカバリーの始まり」・・・つまり、死にたいくらいつらい現在を生き延びるために、アディクションを用いることは最悪なことではない、少なくともただちに死ぬよりははるかにマシな選択だ、ということです。しかし、そのままでは死が近づいてしまう、そこから抜け出すために、自助グループをはじめとする相互扶助的な集いの場=コミュニティ、に参加することをトシさんは勧めます。「生き延びるための物語=アディクション」が今度は「生き続けるための物語=リカバリー」として再起動するために。
繰り返しますが、たくさんの学びがあった本でした。横道マコトさんの当事者としての病との向き合い方は半端なく本気だし、そこに向き合う松本トシさんの思考はどんどん螺旋状に深まっていきます。
「最大の悲劇はひどい目に遭うことではなく、ひとりで苦しむこと」という言葉が改めて心に響きます。話すことができる人、グループ、を見つけて、話しましょう!!!
2025年1月
追記) 2月7日(金)の日経新聞文化面に、北海道「べてるの家」での当事者研究を、25年間続けてこられたソーシャルワーカー向谷地生良(むかいやちいくよし)さんの文章が載っていました。これも是非ご一読をおすすめします。
最後の一文「答えをもたない問いを持ち寄り、どうしたらいいのかわからないまま他者と一緒に歩き、互いに研究することで人間同士のつながりは初めて回復する。当事者研究を続けていると、そのことがよく理解できるのである」