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追跡!古代ミステリー顔に隠された古代人のこころ〜英雄たちの選択

縄文時代の土偶・弥生時代の土器に描かれた人の姿・古墳時代の埴輪・・・。NHK「英雄たちの選択」10月20日(水)今回の主人公は、古代の「顔」です。27日(水)朝8時からBSで再放送があります。https://www4.nhk.or.jp/P5901/3/

2021年7月北海道北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産に決定しました。一万年以上続いた採集・狩猟を基盤とする定住生活と、独自に発展した高度な精神文化という縄文人の営み。世界から注目されている縄文文化の、土偶をはじめとする古代の顔の造形物は、宇宙人?精霊?と人びとのこころを強く掴みます。「古代の土偶や埴輪を見て自分とは遠いこころを持っている人たちではないか。」と永遠の考古学少年、この番組のナビゲーター磯野さんは思っていたそうです。

群馬県桐生市、三千年ほど前の縄文晩期の遺跡から土偶が見つかりました。丸い目や丸い耳がみみずくに似ていることから「みみずく土偶」と名付けられました。主に関東で発掘される、全体に細かい紋様を施したみみずく土偶。東京大学の設楽博己さんは、みみずく土偶から縄文人の生活を紐解こうと長年研究してこられました。設楽さんによると、頭部の額の真ん中の出っ張りのデザインが、髪を結い上げて刺しておく櫛を思わせるそうです。そう言われると確かにそう思える・・・。埼玉県の後谷(うしろや)遺跡から発掘された櫛の、細い櫛の歯は漆で赤く装飾された部分で接着固定されています。この装飾された部分がみみずく土偶の額に描かれているのではないかと考えられるそうです。

(これはレプリカです)

漆は九千年前にはすでに利用されていた事がわかっています。東日本の縄文遺跡からは赤い漆塗りのものが多く発掘されており、東日本の縄文文化を特徴付けています。櫛の装飾部分は縄文後期から晩期にかけてであり、みみずく土偶の時期と一致するのです。

関東一円で出土するみみずく土偶の共通点は、髪型、髪を止める櫛、です。このように同じようなスタイルをすることは帰属意識(同じ集団に属しているという気持ち)を持っていることの象徴で、村同士の人々、村の中の人々の関係性を示す=出自、をはっきりさせる事が必要になってきたことを表します。また、みみずく土偶の耳の部分の丸い部分は、耳飾りを表すのだろう、縄文時代の遺骨からも耳飾りを装着したものが発掘されており(長野宮崎遺跡など)これも帰属意識を表すものだろう、と考えられるそうです。

縄文人は耳たぶに開けた穴に少しずつ大きな耳飾りをつけていたと考えられます。シンプルなものから透かし彫りの華やかなものがあります。特別な装飾を施した華やかな耳飾りは、共同体の中で特別な限られた人物しか装着できなかったと考えられるそうです。

みみずく土偶を年代順に辿ってみると、時を追って頭部の装飾が巨大化し、髪型、髪飾り、耳飾りが、より強調されていく事がわかります。土偶の顔に縄文人が重要なメッセージを託している事がわかります。

「目で見えないこころの移り変わりが、目に見えるもので表現されている」と磯田さん。「土偶を作ったことは自分たちのファッションや技術を見せる意識もあるのでは」とゲストのいとうせいこうさん。「櫛という身近な持ち物を土偶につけることで、土偶が自分たちを表しているのだろう」と考古学者の松木武彦さん。「摩訶不思議な異物がたくさんある、それを第二の道具と言い、それは精神的なものを表すと言われています。」と設楽さん。

「世界中でこんなに丁寧に古代の遺跡を発掘している場所はないです」との磯田さんの言葉を聞くと自分の国が誇らしく感じます。それが世界に認められて世界遺産となったことは喜ばしいことですね。

群馬県桐生遺跡から山梨県で作ったと思われるものが出てきていて、耳飾りなどを交換していたという交流の様子も見えてきます。縄文時代中期、集落の大型化が進みます。南アルプス遺跡から出土した土偶には目の周りに特徴的な線が刻まれています。駒澤大学の寺前直人さんはこれを「イレズミ」と考えます。この時代あえて健康な歯を抜く抜歯が行われていた事が知られています。同じように「痛み」という通過儀礼を乗り越えて集団の一員として認められるために、「イレズミ」が必要な社会だったと考えられます。

縄文時代、御所野遺跡(岩手県一戸町)には八百年にわたって人々が定住して集落を作っていました。水場の遺構が見つかっており、その周囲からは、トチノミが大量に見つかっています。トチノミを長期間水に晒した後熱を加えてアクを抜く施設を作っていたと金沢大学の佐々木由香さんは語ります。土器に残る窪みから、土器には現在栽培されている大豆とほぼ同じ大きさの大豆があったという事、すなわち野生の大豆から栽培して豆自体を大型化(選抜育種)していったと考えられるのです。季節ごとに加工や栽培のルールを作り、何世代にも伝え、豊かな営みを守り、結束を確認し合うためにイレズミなどの行為があったという可能性が考えられるのです。

生活の知識技術を身につけている縄文人。その技術を身につけ、大人になるための試練=死に匹敵する痛み=イレズミ・抜歯を乗り越えて社会の中から認められるのです。縄文時代には男女問わず顔にイレズミを施す事が一般化していたのです。

しかし弥生時代には大きく状況が変わります。

弥生時代後期日本列島西側に住んでいたと考えられる人についての記述が魏志倭人伝にはあります。「男は身分の上下に変わらず顔や体にイレズミをしている。海に潜って魚やハマグリをとる倭の人々は体にイレズミをして大魚や水鳥の被害から体を守っている。」この記述から、弥生時代には男性のみが黥面をしているという事がわかります。

愛知県安城市人面紋様壺型土器には、壺の中身を守る為にイレズミが線で描かれています。イレズミは、縄文時代の共同体の帰属意識を表すものから、邪悪なものや敵を寄せ付けないものとして大きく変化していくのです。

自然とともに生きた縄文時代と、恵みのもとであった森を切り開いて自然をコントロールするようになった弥生時代とでは、意識が大きく変わります。自然だけでなく、人をコントロールするようになった。弥生時代のイレズミは尊卑で差がある、すなわち身分、地域、男女、環境を分け隔てるという意識がはっきり出るようになったのです。

この時代、より強い力が必要とされました。中国では、ドラゴン=龍、は治水を行うもの=皇帝のシンボルとなり、人々の心を魅きつけました。このドラゴン=龍が中国から弥生時代後期に日本に伝わった時、壺に描くデザインとして、縄文時代から脈々と受け継がれた黥面イレズミを選ぶか、新たな文明の象徴と言える龍を選ぶか、の選択が行われるのです。大きなターニングポイント、ダイナミックに人々のこころが変化した時代だと言えます。

弥生時代の稲作は組織的に大変な労力やコストをかけて作られるのですが、天候によって大きく左右される、その時に水を象徴する龍という怪獣を描く(大陸の新しい文化を取り入れる)=龍を信じるのです。しかし一方で弥生時代の人々は縄文時代から続く黥面を捨てることもしなかったのです。

そして古墳時代には、イレズミの意味がさらに大きく変化していきます。奈良県桜井市茅原大墓古墳(古墳時代中期初頭)で2010年に見つかった一体の盾持ち人埴輪。日本古来のイレズミが顔に彫り込まれています。桜井市教育委員会福辻淳さん、古墳の築造年代は4世紀末で最も古い盾持ち人埴輪であり、この埴輪は古墳をその外側の邪悪なものから守る意味があると言います。埴輪となった兵士たちの身分は高いものではありませんでした。

イレズミをした埴輪は畿内地方での出土例が多いそうです。弓を持つ埴輪、冠をつけたい男性埴輪、弦楽器を弾く埴輪、足が太く回しをつけた力士埴輪、馬を持つ埴輪、など、いずれも顔にイレズミが描かれています。古事記日本書紀には、「国家転覆を図った罪人に目の淵にイレズミを施し、それを阿曇目とよんだ」「朝廷の鳥を飼う役人が犬に鳥を食べられ死なせてしまった。これに怒った天皇は役人にイレズミをして部民と左遷した」などのイレズミの記述があります。イレズミをしている連中は良からぬ連中だという考え方が、古事記日本書紀には見られるのです。

イレズミが、古墳時代に、なぜ、負の意味を持つものに変化したのか、について、設楽さんは30年間考え続け、一つのヒントを見つけました。弥生時代から古墳時代の過渡期となる2世紀から4世紀前半の黥面の資料を、日本地図に落とし込むと、吉備地方と濃尾地方には黥面の文化があったが、大和地方にはそれがない=空白である、ということが読み取れたのです。3世紀、邪馬台国の記述がある時期に、大きな墳墓を作っていた有力な地域であった、吉備地方、ヤマト地方、濃尾地方、だったのですが、大和地方だけがイレズミを残さない。そこにどんな意味があるのか。おそらくは中国に由来する大和地方の文化にはイレズミが残っていないのです。

吉備や濃尾の土器には紋様が細かく入れられていた、しかし、大和は吉備の土器を受け入れても、形は受け継いでも土器に紋様を入れなくなっていくのでした。大和には大陸から別の文化を持ったイレズミをしていない人々が流れてきたのだろう。一方で、3世紀には無くなっていたイレズミの絵が4世紀の畿内地方の埴輪に復活する・・・しかし、その埴輪で表される人々は、捕虜になった被支配者であった、罪人であった、畿外の人であった、と考えられ、そこに大きな支配被支配の関係の動きが想像できるのです。

いやー面白いですね。「伝統的な文化と新しい文化のせめぎ合い、地域の差、が「顔」の研究からわかってきました。」(設楽さん)「社会が変わるから物が変わるのではなく、物が変わるから社会が変わるんだ、という視点から考古学がより立体的になります。」(松木さん)「目に線が入っている事で、帰属意識の意味、水ら守る意味、罪人の意味、時代によって意味が変わってくる、人間は意味を作り出すものだ、その意味をできれば幸せの方に使っていきたい」(磯田さん)。

とても興味深い番組でした。私は、一昨年の夏、青森の三内丸山遺跡に行きました。去年の夏は能登の真脇遺跡、今年の夏は静岡の登呂遺跡に行きました。遺跡を丁寧に発掘している国に誇りを持って、これからも、ぜひ、たくさんの遺跡を見て回りたいと思います。

2021・10・22(金)寒い一週間でした。