manabimon(まなびもん)

今日は七夕②〜万葉集 21歳の家持です〜

月を追いかけるように明るい星が見えます。昨日も同じでした。星の名前は私にはわかりません。今は月は薄い雲に隠れています。ぼんやりと雲が光っています。

天平十(738)年七月七日の夜に21歳の家持は「独り天漢(あまのがわ)を仰ぎていささかに懐(おもい)を述べたる一首」を残しています。

織女し 船乗りすらし 真澄鏡 清き月夜に 雲立ち渡る  (万葉集巻十七 3900)

たなばたし ふなのりすらし まそかがみ きよきつくよに くもたちわたる

織女は今しも舟に乗るらしい。(牽牛が出向くのが万葉の一般ですがこれは中国伝説のままです)真澄の鏡のように清らかな月夜なのに、船出のしぶきで雲が立つことだよ。

美しい歌ですね。万葉好きの友人一押しの七夕の歌です。私も大好きです。

この歌は万葉集巻十七におさめられています。巻十七は、家持の父である大伴旅人が天平二年大納言に任ぜられて太宰府から京都に戻る時の旅の悲しみを歌った歌から始まります。そして従者たちが主人の旅人とは別途海路によって上京した時、やはり旅の悲しみいたんでそれぞれに気持ちを述べて歌った歌が九首続き、その次に突然天平十年の七夕のこの歌が載せられています。

この旅には家持は同行していた可能性があります。旅人の歌は海人の娘子(おとめ)達が美しい藻を刈っている姿を歌っています。従者たちの歌は、家にいる妻を恋しく思い、海の旅の頼りなさを悲しむ歌です。家持は父の歌従者たちとの旅を思い返しながら、七夕の歌、織女が旅をする歌を歌ったのかもしれませんね。

この年の正月、橘諸兄は政権の最高位(正三位・右大臣)に就き、春、家持は「内舎人」に任用されました。宮中での宿衛(とのい)や、行幸での警護などがその職務でした。また、妾(おみなえ)と呼ぶ妻との間に可愛い子どもも生まれ、幸せに満ちていた時代ともいえます。この年の十月、橘諸兄宅で開かれた宴には、家持、弟の書持、そして二人の幼馴染の(おそらく従兄)池主も参加しています。家持21歳、前途洋々の若者でした。

2020.8葉月.25(火)今日の大阪の月の入りは22時43分です。