ラジオ古典購読 島内景二 紫式部日記(21)和泉式部や清少納言への批評。
とても面白かったです。らじるらじるで聞き逃し配信、またユーチュブでも聞くことができます。 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0961_01
https://www.youtube.com/watch?v=-NU-Ly-xBqs
また島本さんによる「紫式部日記」新訳も花鳥社より出版されました。https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909832528
1010(寛弘7)年紫式部は回顧録に記しました。「世間の人たちが女房として思い浮かべる三人について書きましょう。」
まず和泉式部に対しては褒めたり貶したり。「和泉式部という人」と突き放した印象の書き始めと島内さん。紫式部は同じ彰子に仕えていた関係で「和泉式部と文通していてその手紙を『面白い』と思いながら読んでいた」。それでも紫式部は「恋愛に対して奔放な和泉式部は人間性に欠ける」と言います。「肩の力を抜いて書き散らした散文でさえ、和泉式部の言葉には、生命力があり、書いた人を彷彿とさせる官能性が漂い、強く訴える迫力がある。歌については文句なしに素晴らしい生命力に満ちていて、面白い趣向や目に留まるところがある。」ということは紫式部も認めています。「歌創作の才能は文句なく素晴らしい天才だ、しかし、和歌がどういうものでどういう和歌がいいのかという理論や知識には欠けていて、他人の和歌を批評したりしているのを聞くと和歌のなんたるかをわかっていない。文句なしにすばららしい歌人だとは思えない。そんな人が詠む歌がなぜ人の心を打つ和歌を詠めるのかふしぎだ」。紀貫之然り、藤原公任然り、素晴らしい和歌の作り手は素晴らしい歌論書を残しています。和泉式部には実作だけしかなく理論がない・・・しかし文学史に残ったのは紫式部の歌ではなく和泉式部の歌でした。
紫式部は次に赤染衛門を批評のまな板に乗せて、しかし、絶賛しています。ここで赤染衛門を絶賛すればするほど前の和泉式部、次の清少納言への批判が際立つのです。大江匡衡と鴛鴦夫婦として有名、良妻賢母を絵に描いたような赤染衛門に対して、「卓越した歌人とまでは言えないが、恥ずかしくなるほどに立派、並々ならぬ知識や教養が感じられ」、「何事にも歌をうたって量産するタイプではなく、歌の数は少ないけれどそれはこちらが恥ずかしくなるほど立派な歌だ。」「それに対して、第三句と第四句の繋がりが悪く腰折れの不自然な歌を詠む人が憎たらしい。そういう手合いに限って教養もないのに、下手なくせに、自分には和歌の才能があると誤解しているのだ。」・・・・厳しいですね。赤染衛門を絶賛しているのは比較して和泉式部への攻撃を補強するためなのだ、という島内さんの指摘にガッテン!
3人目清少納言に対して、紫式部の態度は、完全なる否定です。(紫式部が出仕したのは定子崩御の5年後なので二人が直接会うことはなかったと考えられます。)
「したり顔にいみじうはべりける人」という体言止めに彼女の怒りが込められている、と島内さん。「清少納言の漢詩に対する教養の実態を検証したところ、それほど大したことではない。自分は新しい美、斬新な文体を好んで追い求めている人は、そのうち化けの皮が剥がれて必ず人より劣ってしまうものです。」
枕草子には自慢げに書かれている公達とのやりとりの内容も相手の公達たちの日記には何一つ残っていません。彼らにとっては暇つぶしの遊び相手に過ぎないのかもしれない、独りよがりの自慢だと紫式部は考えている、と島内さん。
「自分ひとりだけが天才である、人との違いばかりを素晴らしい、と思い込んでいる人は将来ろくなことはない。風流を気取っている人はどんな状況にあっても風流を見つけようとし、あるはずのない美を見つけ、不自然な世界観を持ってしまう。その結果自分の生きている世界観を歪めて軽佻浮薄な態度にもなってしまう。」「清少納言の行く末がなぜ良いことがありましょうか、惨めな老残の身を晒したそうですね。」=紫式部の勝利宣言、と島内さんの指摘。しかし紫式部にも不義密通や三角関係を著して善男善女をたぶらかしたために地獄に落ちたという伝説がある、どちらもどちらと。そんな、清少納言への憎しみに、紫式部の本気が感じられ、清少納言への恐れが浮き彫りになる、と島内さん。
そして清少納言落魄の説話(鎌倉時代に書かれた古事談)と樋口一葉の清少納言評価(竿の雫)を紹介。
樋口一葉は紫式部より清少納言に肩入れしています。「人々は紫式部を褒める人が多いが、私に言わせれば清少納言は可哀想な人なのです。女はきちんとした後ろ盾がなければうまく生きていけないのです。清少納言はたった一人で厳しい宮廷社会の渦の中に巻き込まれどんなにか苦しいと思ったでしょうか。」父親を失い孤独に文学の道を進んだ一葉は、自分の孤独を清少納言に投影しています。
「紫式部日記に批判されている清少納言の人間性、はそうかもしれませんが、清少納言は人間社会の埒外(=規格外)の人間なのです。普通の女性が望む家庭的な幸福や権力者の支援など望むべくもない状況の中で、他人の目など気にぜずがむしゃらに生きなければなりませんでした。清少納言の心の真実を知らないから彼女を浅ましい、というのです。」
「清少納言を女性としての嗜みにかけているというのは間違っています。彼女は若くして女としての幸せを諦め必死に枕草子を書いたのです。枕草子は一見華やかな事柄が書かれているように思われますが、二度三度と読めば、しみじみとした悲しみ、生きることの寂しさが枕草子の本質だということがわかります。道長や彰子の援助があった源氏物語と違って枕草子はたった一人で清少納言が書いたのです。人間性が紫式部の方が上であったかもしれない、だからと言って清少納言の悪口を書いてはいけない。紫式部は宇宙から愛された幸運な女性、清少納言はたった一人で荒野に放り出された捨て子だったのです。真に同情すべきは清少納言だと思います。」
「私はそのような考え方を述べましたが皆の賛同を得ることはできずその場にいた人たちは冷たい笑いを浮かべただけでした」と書いた一葉。「貧しい家を支え、結婚も諦めた一葉だから清少納言の人間性や孤独が理解できたのですね、と考えると、紫式部は本当に清少納言を切れたのでしょうか、重たい宿題が残りましたね・・・」と島内景二さん。(この最後の傍線部分聞き取りが間違っているかもしれません。教えていただけたら嬉しいです。)次回の放送がまた楽しみです。
聞き応えのある内容でした。紫式部や清少納言に興味のある方は是非聴いてみてください。
この放送を聴いた友人たちが次のように教えてくれました。
「清少納言への批判は個人的な消息文が紛れ込んだ、という考え方があるそうです。娘への心得として送った手紙ではないかと田渕久美子さんが言っておられる。」「『後輩の女房たちへの指導として赤染衛門さんを見習いなさい』という一見もっともらしい言葉の裏に、和泉式部への、『学も教養もないくせになんで歌の才能だけそんなにあるの!』という紫式部の怒りと嫉妬の声が聞こえてきそう。」
また、「枕草子の値打ち、深みは紫式部が自分にないものとして嫉妬した。機知でもなく 自然への感受性、生命感覚、生の喜びに対して、と、田辺聖子さんが『むかしあけぼの』で指摘しておられる。そして、楽しい華やいだもの、生き生きするものを浮ついたものとして見る昔の男性研究者たちが枕草子受容を歪めた、とのおせいさんの慧眼素晴らしい。」
この放送を聴く前に上記の友人たちの勧めで「枕草子のたくらみ 山本淳子」を読み進めていました。枕草子は「王朝の雅を明るく軽やかに描いた随筆」として紹介され、読まれていますが、作品が書かれた経緯に照らして読むと、壮絶な人生を送り死んだ定子に捧げられた鎮魂の書であり、怨霊に恐れ無常感に駆られた平安貴族たちの心を癒す作品として人々に受け入れられたことが浮かび上がってくる、という内容です。
清少納言の娘が、紫式部も仕えた上東門院彰子の女房として仕え、清少納言が定子に捧げた「枕草子」を貸し出していたという事実があり、つまり、彰子にとっても枕草子は存在価値のある作品だった、ということもこの本で初めて知りました。定子を悲劇の皇后から理想の皇后へと記憶を塗り替えることを世の中は欲していたのです。「ただ、この書は真実ではない、この虚像には騙されない、そう呟く紫式部を別にして。」と山本淳子さんはこの本の終わりに記しておられます。
潰えたはずの定子の文化(安定した上品な彰子の文化とは違い異色な華やかな危険と隣り合わせの)を人々の憧れとして蘇らせた枕草子。しかもそれを彰子も認めていた。しかし紫式部は、彼女の常識で判断する限り、その過酷な運命は風流だの趣など入り込む隙のない絶望的なものだった、それなのになぜこんなに美しく光り輝く笑いを描くのか、、、と思う。清少納言の、その才能に、そのたくらみに、紫式部は苛立ち嫉妬して「清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人〜清少納言こそは得意顔でとんでもなかったとかいう人」と書いたのだ、いや清少納言によって書かされたのだ・・・。
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一方で私の妄想は暴走します。男女の仲・政争をはじめとする人の心の闇と光と全て含めて描いたような「源氏物語」を書いたリアリスト紫式部が、そんな平板な悪口を書くのだろうか?本当に?後から誰かが書き加えたんじゃないか?面白がって・・・。一方、他の人のことは分析して理解できるけれどもいざ自分の心となると制御できないのが人間の性。だからこそこの悪口は紫式部らしいとも思える・・・やっぱり彼女が書いたのかなあ・・・書いたんだろうなあ。あれやこれやの妄想は楽しいです。
2022・2・23(水)天皇誕生日。一条天皇の苦悩、定子の苦悩、彰子の苦悩・・・今の時代にも通ずるものがあるのでしょうね。