大阪歴史博物館に行きました。NHKと隣接した立派な建物です。
難波宮発掘開始70周年記念。「大化の改新に焦点を合わせて、古代日本のターニングポイントを知る」というコンセプトだと、HPを見て思いました。
HPより【「大化改新」は誰もが知る古代日本の大きな政治改革です。大阪(難波)の地にあった難波宮はその改革の舞台であり、改革の結晶ともいえるものでした。見事に左右対称に設計された中枢部と正方位の区画、広々とした朝堂院といった新機軸のつくりが導入された難波宮を通じて、日本古代の国づくりの大きな節目を感じとることができるでしょう。本展では、こうした難波宮の画期性と「大化改新」とのかかわりを、70年にわたる発掘調査成果を中心に、周辺資料や伝承をまじえながら、分かりやすく様々な角度で描きます。】
これは見逃せない、と、いそいそ出かけ、6階の特別展示室を歩きましたが、、、結論は、スカ、でした。うーん残念。私が、「発掘調査成果を中心に」というところをちゃんと理解していなかったということでしょうか。
発掘された瓦や、柱の、そして、京の大きさや形態についての、他の京との比較、また、難波宮の古代寺院の配置についての説明、など、興味深い点は多々ありました。
しかし、今回の展示では、そもそも、『乙巳の変の後、なぜ「難波」に京をおくことになったのか?』ということに一切触れていません。『「大化の改新」は誰もが知っている』ということを前提に、『そんな大きな出来事に、ここ「大阪」が関わっていましたよ。ここを発掘したら、こんな遺物が出てきて、それは大きな成果なんです』という姿勢です。
いやいや、それでは「大化の改新」の重要さや、その時代の日本をめぐる国際状況や、中心にいた人々の人間関係、が、全くわからないまま、ただ、「遺物を見る」作業に陥ってしまうのです。よほど考古学や歴史に関心のある人々をターゲットにするならば、そのような説明はいらないでしょう。しかし今回の「特別展」のターゲットはそういう人々ではないはずです。
難波(大阪)という場所がどのように変遷したのか、
だけではなく、日本全体の中で、時代の流れの中で、大阪の占める位置がどのように変化していったのか、という視点は「難波宮」を考える上で必須ではないかと思います。
常設展は、10階が古代、9階が中世、近世のフロアになっています。大きなパネルや人形や装置を駆使して、観覧者が退屈しないように工夫されており、楽しく過ごせます。
しかし全体を通して、不満が残ります。
それは、今回の特別展に感じたのと同じこと、つまり、「大阪」中心目線しかないということです。「大阪はこんなに注目されていました、大阪はこんなに重要でした、大阪はこんなに元気でした」という目線。だから展示が切れ切れになってしまう。だって10階から9階に降りたら一気に「信長と戦った本願寺」の時代、そして、「天下の台所」の時代、へと一足飛びです。飛びすぎやろ、、、と思いません?
立派な建物の中の、立派な展示、でも、とても浅く感じてしまう、、、それが残念でした。歴史の流れを繋げる視点を入れると、もっと理解が深まると思うのですが。浪速=難波=大阪の歴史を学ぶ公立の博物館は、ここだけなのですから、地味でも、歴史のつながり、を示してほしいな、と思いました。
とはいえ、難波宮や大阪城が一望できる眺望は素晴らしく、
また、展示を見ながら、難波宮跡公園大極殿跡を歩きながら、私自身は、様々な妄想(前期難波宮にいた孝徳天皇や間人皇后や有間皇子や、そこで繰り広げられた悲劇や、後期難波宮にいた聖武天皇やその不安な気持ちや、不安を抱えながら防人の歌を集めていた大伴家持たちや、防人たちの姿など)を、思い浮かべて楽しい時間を過ごしました。
↑大極殿跡です。
2024年8月18日