manabimon(まなびもん)

宇治

宇治に行きました。

宇治は、今年の大河ドラマ「光る君へ」で一躍脚光を浴びている、紫式部の書いた『源氏物語』の『宇治十帖』の舞台となっている場所です。人が多いのではないか、と予想しましたが、月曜日ということもあり、また、それぞれの場所が広々としていたので、気になりませんでした。

まずは鉄板、平等院。午前中に行かないと鳳凰堂内の見学ができないということだったので、10時前に到着して少し並んで10時50分からの堂内見学のチケットをゲットしました。待ち時間の間に平等院内散策です。 https://www.byodoin.or.jp/

ミュージアム鳳翔館の見学も済ませて鳳凰堂内見学へ。1053年に藤原頼通によって建立され、藤原摂関時代をしのぶことのできる唯一の遺構として国宝に指定されています。その時におさめられた、定朝作の阿弥陀如来も、寄せ木造りの仏像彫刻の理想とされ、また唯一のこる定朝作の仏像として、貴重なものです。

私は少し醒めた気持ちで、今も昔も税金はこんなふうに湯水のように無駄に使われたのだなあ、と、美しいお堂や仏たちを見ていました。とはいえ、1000年の長きに渡ってこのお堂や仏像たちが残り、今、沢山の人たちに喜ばれていることは、決して無駄なことではないわけで、何がどんなふうに良いのだか悪いのだかは、なかなか判断できないものですね。阿弥陀堂内外も仏たちも素晴らしく、一体どれだけの人がどのような気持ちでこの制作に携わり、どのように思ったのか、、、美しいものを作ることは楽しかっただろうな、苦しいこともあっただろうな、などと、想像するのも楽しい時間です。

頼通はこのお堂を建立した15年のち1068年に引退し、宇治に閉居します。この間、彼が最も強く願っていた、頼通を外戚とする男皇子は生まれず、藤原氏の権勢に少しずつ翳りが見え、頼通が亡くなった1074年以後、世の中は院政時代へと移っていきます。

平等院内に源頼政の墓がありました。 https://www.byodoin.or.jp/around/hear/#90

全盛を極めた平氏に対し、1180(治承4)年源頼政は、以仁王(後白河法皇の皇子・式子内親王の兄)と組んで挙兵、平等院で平氏の軍と戦い戦死しました。その後、1184(寿永3)年には、平氏を西国に追いやった木曾義仲軍と源頼朝(範頼・義経)軍との戦いが宇治川を舞台に繰り広げられ、義仲も滅びます。

その宇治川の先陣争いの碑や、鵜飼の鵜が飼われている小屋などの横を通り、宇治神社、宇治上神社へ行きます。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀る神社です。

菟道稚郎子は、5世紀初頭におそらく前政権を倒して台頭した応神天皇の皇子で「その聡明さにより父から寵愛されたが異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと=仁徳天皇)に皇位を譲り自殺した」と日本書紀に記されている人です。菟道稚郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられています。

菟道稚郎子は、おそらく、世界で一番広い面積を持つ墓の持ち主である仁徳天皇により殺されたのだろう、と多くの人が考えています。

世界遺産に指定されている宇治上神社(本殿が日本で一番古い神社建築)では、強大な権力を有し大きな墓を残した、応神天皇、仁徳天皇と並んで、菟道稚郎子が祀られています。この宇治の地が要衝であったことを示します。

それは、その後、672(弘文天皇・天武天皇元)年に近江朝が宇治橋守に命じて大海人皇子(天武天皇)の私糧運送を妨害させた、という事実からも明らかです。この年、壬申の乱にて、大友皇子(弘文天皇)は自害して果て、大海人皇子が飛鳥浄御原宮を都と定めました。

日本の古代の歴史の大きな変換点に、この宇治という地は、大きく関わっていたのです。

今日一緒に宇治を楽しんだ友人は、大阪・天王寺から奈良回りで宇治にきました。宇治というと「京阪電車」と思う大阪北部の私ですが、大阪から奈良を経由して宇治、そして琵琶湖へと抜けていく道が古来あったのです。

宇治上神社を出て源氏物語ミュージアムに向かう道すがら、このようなプレートが石畳に嵌め込まれていました。「早蕨」の舞台「総角」の舞台はこっちだよ、という意味なんでしょうか?よくわかりません。

源氏物語を訳した与謝野晶子の源氏物語礼賛歌の歌碑もありました。もちろん読めません。このようにわかるように書いてくれていて嬉しい(願わくば歌の意味も書いておいてほしい。)晶子は源氏物語の現代語訳をおこないましたが、関東大震災でその原稿全てを焼失しました。その後17年をかけて『新新訳源氏物語』を完成させました。

源氏物語ミュージアムに入ると、一気に「源氏物語」の世界に引き込まれます。https://www.city.uji.kyoto.jp/site/genji/

平安時代の装束や生活習慣、香りの楽しみ、源氏物語宇治十帖の解説、などがコンパクトに展示されています。かわりばんこに映画(アニメと実写)が上映されていて、楽しみにしていたのですが、実写版の「橋姫」はなんだかよくわからなかったです。名優白石加代子さんが「橋姫」を演じておられたのですが、「橋姫」がこの映画に登場する意味がいまひとつ伝わらず、ただ不気味さを強調するのみに感じました。ヒロインたち「大君」「中君」「浮舟」のそれぞれの持つ魅力や苦しみ(を描こうとしていたと思いますが)、も、あまり伝わらなかったです。残念、、、。

次の目標は、紫陽花の寺、三室戸寺です。西国第十番札所、御朱印も魅力的です。

https://www.mimurotoji.com/

紫陽花はこれからもっと見頃になりますね。

それから、京阪に乗り、古くからの大阪と京都を結ぶ交通の要所である中書島に移動して、寺田屋前へ。

月桂冠などの蔵元が並ぶ街で、お酒を楽しみました。私は日本酒は梅酒程度しか飲めませんが、楽しい1日の締めくくりとなりました。乾杯!

2024年6月