manabimon(まなびもん)

山本淳子の描く平安人の心 本二冊

宮崎に来て約三週間が経ちました。赤ちゃんが生まれたのでヘルプに来たのです。

朝5時に起き、洗濯物を干し、新聞を読み、腰痛対策体操と、テレビ体操をしている間にこども達が起きてきます。8時半に上のこども達をお迎えのバスに乗せ、とてもとても親切なお隣の方と少しお話をし、一息ついてから、自転車に乗って町の中を走るのが、大体の日課となっています。

港、

神社、

葡萄畑、

キーウィ畑、

などなどを巡り、図書館に行って本を探します。午後、こどもたちが帰ってくるまでの時間は料理と読書に充てます。幸い赤ちゃんは元気でよく寝てくれ、全然手がかかりません。

大阪では予約待ちの多かった山本淳子さんの本二冊を借りることができました。『平安人の心で源氏物語を読む』『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』です。

内容がとても濃く、読むのに思いの外時間がかかりましたが、充実の時間でした。さまざまな「そうなんだ!」に溢れています。

明るく積極的で親しみやすい定子は、最盛期には時代の文化の先端を切り拓く憧れの存在でした。しかし、彼女は、愛、政治、仏教、の理不尽に引き裂かれ、むごたらしい死を迎えます。その直後、公達達は無情を痛感して連鎖的に出家をしました。その代表が源成信と藤原重家です。

定子崩御後49日を迎える直前、藤原道長は近江の三井寺に急ぎ向かっていました。甥で23歳の源成信が失踪、出家を企てたという知らせを受けたのです。成信は、右大臣藤原顕光の息子藤原重家(25歳)と、一緒に出家を果たし、時の政治のトップ2である、道長と顕光は天を仰ぐしかなかったというのです。

定子の死は社会的事件でした。

それは、紫式部にとっても大きな意味を持つ出来事でした。

母が受領階級出身で、漢文を特技とする定子の零落は紫式部の心にも影を落としました。その数ヶ月後、紫式部は夫宣孝を失い、ただ呆然と四季を過ごすほかありませんでした。その間に思い知ったのが、人は「世」を生きる「身」であること、つまり自分ではどう変えることもできない現実を背負っているということ、だったのです。

全ての登場人物が「世」に阻まれて生きる「身」として描かれる源氏物語は、「日本初のリアリズム小説」となります。

世間から「〈幸ひ〉多い」と言われても、それは個人が内心で深々と実感する「幸せ」、とは、違うのだ、という事実を体現するのが、他ならぬ「藤原道長」なのです。「我が世の望月」と歌い、空前絶後の「傲慢な権力者」として語られる道長は、一方で、怨霊に怯え、病気に苦しみ、身内の不幸や、気持ちの行き違い、に苦しむ「ものがたり=内面」を持っていました。

二冊の本から、源氏物語を巡る、虚実ないまぜの人々の「ものがたり=内面」が、より具体的に、生き生きと立ち上がってきて、頭の中に妄想?が溢れる中で、ページをめくりました。

道長の正妻である倫子をはじめとした女性陣が、自分の意見や思いを、自分の言葉や態度で堂々と道長に表明している部分の記述には、日本史の教科書はじめ正史には載らない、女性の存在感を感じることができました。

素敵な本二冊、読むことのできた7月でした。

山本さんの枕草子についての本もおすすめですよ〜!

本 枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い山本淳子さんの「枕草子のたくらみ」がすごいです。...

こどもたちが帰宅する4時以降はあ!っという間に時間がすぎ、夜9時前にはみんなヘトヘトで床に就く毎日です。(笑)

2024年7月17日 芥川賞、直木賞発表の日。