9月21日火曜日、旧暦の8月15日、今日は満月、中秋の名月です。
今日は陶芸教室で、釉がけをし、それから轆轤と格闘しました。楽しいです。そしてその後、友達と一緒に宝塚市売布神社駅前にあるシネピピアに向かい、映画「ブータン・山の教室」を観ました。美しい風景と、美しい目をした子どもたちの表情と、若い主人公の心の変化と変わらない思い、主人公を取り巻く男たちのもつ包容力、が、心地よく強く印象に残る映画でした。https://bhutanclassroom.com/
ブータンの首都ティンプーに住むウゲンは「教員に向いていない」「オーストラリアに移住して音楽で生計を立てたい」と、家でゴロゴロ。おばあちゃんは「夜遅くまで遊んで朝起きないこの子は私には理解できない」と嘆きます。ある日、ウゲンは、上司に呼び出され、ブータンの秘境、標高4800メートルのルナナ村(美しい名です)にある学校に行くよう告げられます。渋々ルナナ村に向かうウゲン。二人の迎えの男たち(とても親切な二人です)とともに、一週間以上かけて険しい山道を登って、ようやくたどり着いた村には安定した電気も通っておらず、ヘッドホンから音楽を聞くことも、メール通信もできません。
窓もないウゲンの部屋には、親切なミチェンが貴重な紙を風除けに貼ってくれていますが破れていて冷たい風が入ってきます。トイレももちろんもちろん木製で、火をつけるのにも苦労します。村長の「ブータンは世界一幸せな国だそうです」という言葉は皮肉たっぷりに聞こえます。村人総出で歓迎されたウゲンですが、「僕はここに居ることはできません」と」と村長にいいます。村長は「無理に止めることはできない」と、帰る準備が整うまで(山を降りるのにも周到な準備が必要なのです)待ってくれ、といいます。
翌日可愛い女の子ぺム・ザム(彼女は実際にルナナにすむ女の子です)がウゲンを起こしにきます。学校には黒板も教材もありません。何もない教室で自己紹介をしたとき、一人の男の子が「僕は先生になりたいです。先生は未来に触れることができるから」といいます。子どもたちの目は好奇心にキラキラ輝いています。そこに美しい歌声が流れてきます。村一番の歌声の持ち主セデュの歌う「ヤクに捧げる歌」にウゲンは強く惹きつけられます。
帰る準備が整いましたが、ウゲンは村に残ることに決めます。子どもたちが字を書く紙は貴重でするになくなります。ウゲンは部屋に貼られた紙を切って子どもたちに渡します。そして、友だちに手紙を送り、ノートや鉛筆やボールなどの教材とギターを送ってもらいます。この友だちの出番は少ないのですが、とても良い友だちだということが、わかります。
子どもたちにとってもウゲンのような先生は初めてだったようです。彼の爪弾くギターに合わせて彼らはたくさんの歌を歌い、踊り、躍動します。
セデュの歌う「ヤクに捧げる歌」をウゲンが歌えるようになり、子どもたちの勉強がどんどん進んできたとき、ルナナには冬の気配がやってきます。村を離れる時がきました。ヤクの放牧もここではできません。村は閉ざされるのです。ウゲンは村を去り、そして・・・。
この映画の結末はまだまだ先があります。ウゲンはどのような人生を歩むのか、様々な想像が膨らみます。そして登場した村の子どもたちはどのような人生を歩むのでしょうか。ベム・サムは映画の中で「母は家を去り、父はアルコール中毒で働かず、祖母と暮らす」女の子として描かれていますが、実際の彼女の家も崩壊しているそうです。ルナナは決して「豊か」でもなく「天国」でもなく厳しい現実が村には存在するのです。ちょうど一年前、「ハニーランド〜永遠の谷」を観てブログに書きました。あの映画のような残酷な現実はこの映画には描かれていません。しかしあの映画を観た時と同じ哀切さを強く感じました。
それでもベム・サムの笑顔の美しさは本物です。村の人々の温かさも本物です。厳しくも美しい自然、人々の暮らし、に強く心が動きます。ルナナ村の人々の幸せを心から願います。
帰り道、雲間から月が顔を出しました。月にもう一度ルナナ村の人々の幸せを願いました。
2021・9・21(月) それにしてもルナナ村の子どもたちの英語の力は大したものでした。