十三第七藝術劇場で上映されている「銀鏡」素晴らしいドキュメンタリー映画でした。
銀鏡 みなさんどう読みますか?
「しろみ」
読めないですよね。この地名の由来は、古事記、日本書紀に書かれている、アマテラスの孫のニニギノミコトを巡るコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹の物語にあります。
https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/037.html
ニニギは石長比売(イワナガヒメ)を拒絶することで、永遠の命を失いました。醜い石長比売が悲しんで投げた鏡を御神体とする銀鏡(シロミ)神社は、宮崎県西都市の山奥にあります。
ここで500年続いた銀鏡神社では、冬至の約1週間前の凍てつく夜、夜を徹して古代の精霊、宿神が舞い降り、アマテラスの再生を祝う神楽が演じられます。
映画のはじめに理論物理学者の佐治晴夫さんが登場し、「すべてのものは星のかけらでできている」とおっしゃいます。今から138億年前、熱くまばゆい一粒の光として生まれた宇宙は、膨張する過程で温度を下げ、光の雫は星となり、星は光り輝く過程で全てを作る素となる物質を作り出し、大爆発という形で終焉を迎えた星が宇宙空間にばらまかれ、そこから地球が生まれ私たちが誕生したのだそうです。
「北極星を天の中心として星にならって生活していた、つまり星と一体化していた私たちが星に祈りを捧げるのは当然のことであり、星の声を聞くことなしに人は生きることができなかったことの証ともいえる」と佐治さんはおっしゃいます。
500年間続く銀鏡の神楽は「縄文の香りを残す、山の民の神楽」という意識を持って継承されていましたが、そこに「星」という視点をこの映画を作った赤阪さんが持ち込み、焼失した資料の代わりに生き字引的存在で村におられた濱砂武昭(タテアキ)さんとの意見が一致したことが、この映画作りのきっかけとなります。
すでに国の重要無形文化財に指定されていた銀鏡神楽ですが、ちょうど九州の神楽を世界無形文化遺産に登録する動きがあり、その時に銀鏡の人々は狩猟民族の文化を残して500年以上続いている、という程度の説明しかできなかったそうです。そこに「星」という視点を持ち込み「星の神楽」としての銀鏡神楽を広めたいと考えた赤阪さんが「映画作り」を提案し共感を得たのだそうです。
映画は、2018年春、様々な花に彩られる季節から始まります。限界集落の村で、柚子や唐辛子を生産加工する会社「かぐらの里」を作り、また、学校を残すために山村留学を行って、村を守り、神楽を守ろうとする人々が登場します。その中心にいるのが濱砂修司さんです。
ところが夏が終わり秋へと向かう頃、台風の中、銀鏡神社の宮司である濱砂則康(ノリヤス)さんが車で川に転落し亡くなってしまいます〜「星がひとつ宙に帰った」〜。500年間続いてきた宮司の血統が途絶え、(おそらく)喧々諤々の末に、しかし日常生活を滞らせないなかで、ずっと寡黙に故則康さんを支えてきた上米良(カンメラ)久道さんが新しい宮司となります。
冬の神楽の準備の真っ只中、さらに人々は大きな喪失に遭遇します。歩みを止めない人々によって、この年の銀鏡神楽が行われ、美しい映像に残され、私たちの元に届けられました。
「縄文の気配が息づく山深い里に 大地の恵みとともに生き 星々に祈り舞う人々がいる」「星と人を繋ぐ、銀鏡の神楽」というチラシの言葉が胸に沁みました。
映画を観終わった後、約1時間、赤阪監督と、民族学博物館の川瀬慈さん(映像人類学)との対談がありました。奥深く、興味深い内容でした。日本で「星神楽」というのは大変珍しい存在だそうです。太陽神が冬至の頃一番弱くなるので、太陽神再生のために祈りを捧げるこの神楽は、星のエネルギーによってアマテラスが運行するという室町以前の考え方に基づいているそうです。
文献が焼失してしまったなかで、しかし祭りの継承というものは文献ではなく、感覚で人づたえに伝わって行くものだというお話も心に残りました。人と人を繋ぐことは、それほど簡単なことではありません。しかし銀鏡の人々は山奥で、神楽と、生活を、繋ぐ努力を、淡々と続けておられ、繋いでおられます。その人々に信頼され繋がった赤坂監督が、深い知見を持ってこの映画を撮影、発表されたことを心から嬉しく思いました。
ちょうどGW中に、私は宮崎県西都市に行き、西都原古墳群を巡り圧倒されました。この旅行の前に、やはり七藝で、「社人(もりびと)」という映画(この映画も素晴らしかったです)を観た時に、「銀鏡」の広告を見てぜひ観たいと思っていたのです。神話の時代の古墳群と銀鏡神楽との関係はわかりませんが、それらが繋がっていることだけは確かだと思います。
2022・5・8(日)映画鑑賞 5・14(土)記
昨夜ヒメボタルをみに行きましたが、月が美しく輝いていたせいかまだ早かったせいか、2灯のみでした。とはいえヒメボタルに出会えて嬉しかったです。