2021年3月9日「BS世界のドキュメンタリー」7月2日Eテレ「ドキュランドへようこそ」で放送された「NASURIN」はイランの女性弁護士ナスリンが主人公。現在進行形の物語です。
「224年ペルシャ帝国での女性の地位は子どもや奴隷と同等。1905年イラン立憲革命で女性は重要な役割を果たすものの選挙権を否定される。1963年〜67年イランの女性は投票・離婚の権利、子どもの親権を手にする。1979年のイラン革命後女性は政府の役職の多くから追放。イスラム法で決められた服装を強制され離婚の権利・子どもの親権を失う。」という字幕の後イランの風景が映し出され、ナレーションが入ります。
「イランのナスリン・ソトゥデ弁護士は子どもや女性の権利のために闘ってきました。〜二児の母ナスリン弁護士は他の弁護士が尻込みする事案を引き受けます。〜人権を擁護したために収監されました。国家の安全保障を害する陰謀を企てたとして有罪に〜声なき人の代弁者です。」
アメリカFloating World Pictures 2020年制作のドキュメンタリーです。
テヘランに住むナスリン・ソトゥデ自身が語ります。彼女は、銀行員・ジャーナリストを経て、2003年に弁護士となり、死刑判決を受けた未成年の弁護を担当、その後、家庭内で虐待を受けている子どもや女性の代理人を務めるようになりました。クルド人などの少数民族やバハーイー教徒のような少数派からの依頼も引き受けています。
病院の心理学者5人は少女が性的虐待を受けていた可能性が高いと報告、父親が娘に会うことを止めるよう求めたが判事はそれを認めず、「父親は我が子を殺すことも許されている、虐待など大したことではない」と言いました。母親は「娘を連れて姿を消すしか選択肢はない」と言いました。法律家としてのナスリンは「その道を選ばせたくない、こうした問題は法律で解決することが望ましい」といいます。
ナスリンの夫、レザ・カンダン、グラフィックデザイナー、はナスリンの人柄・勇気に惚れ込んでいます。1995年10月に結婚。ナスリンと二人三脚でここまでやってきました。
イランでは少年犯罪者80人の死刑が差し迫った状態にある、と国連人権高等弁務官事務所は2018年報告しています。ナスリンが担当したアウレザ・アジキは、2017年8月無実を主張しながら21歳で絞首刑になりました。
ナスリンは重圧に耐えきれなくなると、芸術に心を委ねます。演劇・美術・音楽。
1980年代イランでは女性の権利に対する議論が最高潮になりました。多くの女性、いや、男性も、が「人権と法の元の平等」を求め結集しました。タギ・ラフマニ(男性・作家)は「社会の半分を占める女性の権利を侵害すれば、社会は深刻な事態に陥ります。コーランの中で、神は女性と男性の両方に語りかけている。ところがイランの法律は平等の精神に基づいていません」と語ります。
10年前、「女性に対する差別に抗議する100万人署名活動」を行った時、多くの女性活動家たちが集まり議論しました。署名を議会に提出して法律改正を求めようとしました。運動に参加した女性たちは逮捕され重い刑罰を受けました。8年に及ぶ保守強硬派のアフバニ・ネジャド政権のもとの弾圧は女性たちをさらに結集させました。「女性の要求を通すために賛成票を投じよう」というスローガンのもと彼女たちは活動します。
2009年6月テヘランでアフバニ・ネジャド大統領の選挙不正に対する激しい抗議デモが行われました。当局は機動隊を使ってデモを鎮圧、大学を封鎖し、携帯・SNS・メールサービスを遮断しました。逮捕者が続出、弁護士のナスリンは大忙し。一緒に運動を進めてきた、ノーベル平和賞(2003年)を受賞した弁護士・人権活動家シリン・エヴァティの事務所は閉鎖され、拘束され、財産を没収(父親の家まで)されました。ナスリンが弁護を引き受けました(その時の裁判の様子が映し出されました。酷い)。その後ナスリン自身も逮捕され、二ヶ月半独房、酷い環境に置かれました。
当時息子は3歳、娘は9歳でした。夫のレザは一人で子どもたちを守ります。面会を禁じられ、数ヶ月後夫も娘も起訴されました。9歳の娘さんがです。ナスリンはハンガーストライキを決行します。取調官は「地球上からお前たち夫婦を抹殺する」と脅しました。ナスリンは子どもたちに面会できました。
2013年改革派ロウハニが選挙に勝利、ナスリンは釈放されます。弁護士協会が彼女の免許を無効にしようとしました。ナスリンは弁護士協会の前で座り込みます。多くの人が抗議行動に参加しました。8ヶ月半後やっと良い結果が出ました。革命裁判所の多くの判事は「内密」に認めた、と言います。大きな圧力があるからだそうです。
2015年、イランの反体制派、ジャハル・パナヒ監督・主演のイラン映画「人生タクシー」はベルリン国際映画祭で最高賞に輝きました。ナスリンも監督の演じるタクシー運転手の乗客として出演しています。パナヒ監督は2010年逮捕され3ヶ月間収監され、釈放後は映画政策、メディア出演、海外渡航を禁じられました。https://eiga.com/movie/83248/special/
パナヒ監督に当局は謝罪文を書くように求めました。監督は「いかなる罪も犯していない」と断ります。ナスリンは「渡航禁止措置は違法なのでパスポートの発行を命じよ」と主張するべきだと言います。
「皆が自由に移動できるようになるため、平和について詩を書いたり、映画を作ることができるようになるためには、政府と市民の間に平和が築かれることが最初の一歩だ」とナスリンは言います。「若者が変革を求めている、彼らは自分の運命を自分で選びたいはずなのに、最も抑圧されている」とも。
2018年ヒジャブを外して木の枝に掛け、振った女性たちは、公俗を汚染したと、次々と逮捕されます。彼女たちはその画像をSNSに投稿しています。法廷では、法的罰の根拠を質問しても法的には答えが提示されません。ナスリンは、その中の一人大学院生ナルゲス・ホセイニを弁護します。保釈の申請も取り下げられ、判事は改悛の情を示すように言います。しかしナルゲスは改悛の必要はない、と言います。マルゲスの家族は篤い信仰を持っていますが彼女を全面的に援護します。ナルゲスの保釈金を援助しようという人もあらわれます。ナルゲスは保釈され、禁錮2年しかし執行猶予付きで実質3ヶ月の禁錮という刑を受けました。
「ヒジャブをつけなくていいという法律ができてもだめなのです、ヒジャブをつけるのかつけないのかは私たちが決めることなのです。服装に関する自由を手に入れる必要があるのです。」「この物語で一番描かれなければならないのは、刑務所と拷問から解放されることを願う心です。」と語ったナスリンは2018年6月13日再び逮捕されました。欠席裁判で裁かれ有罪となりました。
夫のレザ・カンタンは、ナスリンの健康状態を心配しています。2018年9月夫のレザも逮捕され、禁錮6年の刑を言い渡され、現在は保釈されています。
厳しい状況にあるイランですが、人権活動家・ノーベル平和賞受賞者、シリン・エヴァティ(ノーベル賞などのメダルや受賞金は没収されてしまいました)は、「わたしたちの活動は、負け戦が分かっているものではない」と強く語ります。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784270002513
ナスリンへの判決は禁錮38年6ヶ月とむち打ち148回。予想をはるかに超える過酷な刑です。「この判決は世界の世論を動かす」とレザ。イタリア・フランス・オーストリア・アイルランド・オランダ・カナダ・アルメニア・アメリカ・トルコ・スペイン・各地で人々がナスリンのために抗議運動を行いました。
この映像に日本が出てこなかったのは残念です・・・と言いながら自分自身イランの状況に関心がありませんでした。知らないことがほんとうに沢山あります。(2020年9月末日記)
2020年12月4日産経新聞より「健康状態の悪化で一時釈放されていた人権派の女性弁護士、ナスリン・ソトゥーデ氏(57)が3日までに、再収監された。支援者が明らかにした。釈放後に新型コロナウイルス感染が判明していた。」
https://www.sankei.com/article/20201204-H52GKMIKWJOBDLKYL3X7VHTQIM/
今私にわかるのはここまでです。今ナスリンはどうしているのでしょうか。元気であることを祈ります。