息を詰め頭をクラクラさせながら読んだ2冊の本。『母という呪縛 娘という牢獄 齋藤彩著 講談社』『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち 上間陽子著 太田出版』。
2013年、琵琶湖の南側野洲川南流河川敷で発見された体幹は、そこから徒歩数分の一軒家に20年以上一人娘と暮らしていた58歳の女性のものでした。
一人娘は幼少期から学業優秀でしたが、母に超難関の国立大医学部への進学を強要され、9年にわたる浪人生活の末、結局看護学科に進学し、4月から看護師となっていました。「彼女」を、守山署は死体遺棄容疑で逮捕、死体損壊・殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切りましたが、一審の大津地裁で「彼女」は殺人を否認していました。
共同通信の記者だった齋藤彩さんは、公判を取材しつづけ、拘置所の彼女と接見を重ね、刑務所移送後も繰り返し往復書簡を交わしました。そして、「彼女」の「牢獄」の中での物語が紡ぎ出されたのです。愛情という名の下、束縛し支配し抑圧し、思い通りに進まないと制裁を加え、猛省と服従を強いた母。想像を絶する恐ろしい「牢獄」を抜け出すために、「彼女」はこうするしかなかったのかもしれない・・・。著者の取材記事がWEB配信された時、大きな反響があり、彼女に対する同情的な反応が大きかったといいます。
被害者の母にも辛い物語があって、その言動には理由があったのだと思います。離れていった父にも相応の理由があった。しかし・・・。
そうした親子の相克は「他人事」ではなく、わが家にも、あちらにも、こちらにも、どこの家にも存在します。だからこそ多くの人がこの記事を読み、心を震わせ「彼女」や、著者に思いを伝えようとするのでしょう。
獄中「彼女」は、多くの「母」、同囚との対話を重ね、接見した父のひと言に心を奪われます。「手放さない」との父の宣言は彼女を大きく変えます。一審で無表情のまま尋問を受けた「彼女」は、二審の被告人尋問でこらえきれず大粒の涙をこぼし、陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認めたのです。
「この本を出したいと考えた、あかりと私の思いは一致している。起こしてしまった事件の罪を今後、生涯かけて償うと同時に、父、母、娘、息子、家族との関係に悩むすべての人に、この本を届けたいと思っている。」という言葉はまっすぐ私に届きました。読むのが辛い本でしたが、読んでよかった本でした。
『裸足で逃げる』に登場する沖縄の夜の街の少女たち」は、『娘という牢獄』に繋がれ母を殺した「彼女」とは全く違う環境で育ち、違う生き方をしているように見えます。しかし、どこからも助けのないまま、家族や恋人たちからの暴力から「裸足で逃げる少女たち」の姿は、私には「娘という牢獄」に閉じ込められた「彼女」と重なります。そして「逃げろ!逃げおおせて!」と強く思うのです。
「起きてしまったことがどんなにしんどいものであってたとしても、本人がそれをだれかに語り、生きのびてきた自己の物語として了解すること」に、著者の上間陽子さんは「一筋の希望を見出している」といいます。収録した原稿の最初の読み手は彼女たち自身で、その原稿が出来上がるまでの時間を懐かしむたくさんのおしゃべりや涙こそが、彼女たちを前に進ませるのです。
それは『母という呪縛 娘という牢獄』を出版した齋藤さんや「彼女」の有り様と繋がります。
この本も、とてもとてもとても辛い話に満ち満ちています。何度もため息をつきながら、彼女たちの物語を読んで、私は、「この国で長年放置されてきた問題」、また、「問題を放置してきた大人」である自分にどう向き合うのかを、自分なりに考え、「少女たち」に導かれ、「少女たち」とともに、「相応の困難と、それを克服する喜び」を受け止める覚悟を決めるのだと感じました。
https://www.ohtabooks.com/sp/hadashi/
2023年3月26日(日)雨。満開のソメイヨシノは美しいですね。とはいえ、あっという間に散り始め、八重桜が蕾を膨らませています。