北大阪急行が箕面萱野まで延伸となり、沿線は活気付いています。箕面船場阪大前で降りると、長い階段があってそのまま、新しい箕面市の図書館や大阪大学(外国語学部)、箕面文化芸能センターに直結しています。素晴らしいホールです。
また、図書館では、隣の市の住民も本を借りることができて嬉しいです。
さて、10月5日土曜日、箕面文化芸能センターで、大阪大学外国語学部外国学専攻シンポジウム(長い!)「物語からことばへことばから役割へ」(長い!)と題された講演会がありました。ゲストは、小川洋子さんです。本を増やさない、と決心している私ですが、小川洋子さん(と津村記久子さんと村上春樹さん)は特別枠です。また、金水敏さんは、繁昌亭の催しなどなどで、とっても身近な存在です。そのお二人の対談、ということで、ワクワクしながら出かけました。
https://www.sfs.osaka-u.ac.jp/news/_in.html
一部前半は、『「物語を紡ぐこと、その物語を翻訳すること」に焦点をあてて、ことばの持つ様々な役割について考えます。』ということで、小川さんと共に、大阪大学の2人の先生、田邊欧さんと、篠原学さんが、登壇しました。
取り上げた作品は『ダブルフォルの予言(掌に眠る舞台 所収)』『琥珀のまたたき』『密やかな結晶』の三作です。この時点で私のワクワク度は満開。どの作品も印象深い作品でした。
物語は「場所」から始まる、と小川さんは言います。舞台という異世界(現実と非現実の狭間に存在する板)の上で起こる出来事は、なかなか言葉になりません。しかし小説にするとその出来事が形になり、あり得ないことがあり得るようになるのです。
一瞬(またたき)の出来事と、永遠の時、は小説だからこそ並列できる。一瞬一瞬の連なりが、永遠を作るのだけれど、それを、頭で書くとつまらなくなる。「狭間で待つ」必要が、この『琥珀のまたたき』という作品には特に必要だったそうです。「閉じられた世界=この世から見ると虐待」にいた3人の子どもたちは、しかし、幸せな時間を紡いていました。彼らの成長につれ、閉じられた世界に綻びが見え始め、外の世界から「ジョー」が現れ、機が熟してオパールは家を出ていきます。母の狂気が明らかになり、世界は壊れ、今は、琥珀(主人公のアンバー氏)は芸術家の住む小さな部屋でひっそりと暮らしています。この作品の一部を小川さんの朗読で聞くことができたのは至福の時でした。
当局の「記憶狩り」によって、人々が連行されている島を舞台にした『密やかな結晶』は海外でも多く読まれています。英語では「The memory police』と、物語の内容をダイレクトに表した題に訳されています。「結晶」という言葉が英語だとスピリチュアルな(占い的な)意味を含めてしまうので良くない、という理由だったそうです。一方フランス語ではこのままの直訳で出版されたそうです。
「物語を書き続けたら自分の心を守ることができるの?」「そうだよ」という台詞に込められた思い(悲惨な体験を、物語にすることで、まるで布にくるむように柔らげる作用がある、という思い)を、日本語にするとき、例えば「です」「ます」調で書くと、柔らげる力が増します。しかし、英語やフランス語には、そういった丁寧語がない、というようなことも話題に上がりました。
一部後半は、金水敏さんの講演です。2000年に彼が提唱した「役割語」についての説明が簡潔に、分かりやすく、猛スピードで語られました。「知っているのよ、知っていますわ、知ってるぞ、知っているわい、知っているのじゃ、知ってるぜ、知ってるってわけさ」という言葉遣いで、日本語を解する人は、その話者の姿をそれぞれに思い浮かべることができますが、翻訳先の言語にはそういう使い分けができないものがほとんどです。村上春樹や小川洋子の文章にはそういった役割語が少なく、まるで翻訳小説を読んでいるような特徴があった、と金水さんは言います。書いている作者がグイと押すのではなく、引くことにやって、作者が通り道になって、読み手を邪魔せず物語世界へ導くというのです。
普段当たり前に使われている言葉遣いに、「役割語」って、改めて名付けられることで「ふーん」と思う、まさに、補助線一つでいろいろなことが見える世界です。面白かった!
第二部では、ピアノとフルートの競演があり、金水さんのフルート演奏を聴くことができました(高校時代オーケストラ部で活躍されていました)。そして、総合司会を担当された、アナウンサー西靖さんを交えての、鼎談=「物語」の共創、でした。一人称ひとつとっても、僕、俺、私、あたし、うち、おいら、などなど沢山の種類を持つ日本語で、物語を紡ぐ作業の面白さ、居所(お尻の座る場所)の作り方、など、話題は尽きませんでした。
13時から16時まで、長丁場でしたが、もっともっと聴いていたいと思いました。
そしてその後は、阪大広場でのオクトーバーフェスト(直射日光が降り注ぎ、座る場所が少なくて、高齢者にはちょっと辛かった)を楽しみ(中野徹先生など著名人もお見かけしました)、私たちは千里中央に移動し、夜遅くまでおしゃべりを楽しみました。
とても良い天気に恵まれよい1日を過ごすことができました。
小川洋子さんの飾らない楚々とした風貌が物語から抜け出た妖精のように感じられました。
2024(令和6)年10月5日(土)まだまだ暑い大阪でした。我が家のミニバラが咲き始めました。ちょっと秋めいてきたかな。
追記)10月半ばを過ぎようやく秋らしくなってきました。私の住んでいる町も金木犀の香りに包まれています。
今、小川洋子さんのエッセイ集『遠慮深いうたた寝』を読んでいます。「こんなふうによその子がいとおしくてならないのも、老化現象の一つだろう。若い頃は子どもが嫌いだった。どう扱っていいか、見当もつかなかった。自分もまだ子どもだったからかもしれない。」など、など、など・・・無関心だった手芸を始めたことや、家庭菜園のことなど、など、など・・・共感できる文章に満ち溢れています。
一方で小川さんならではの、ひやり、ぞくり、どきり、とする感性にも満ち溢れています。
「琥珀のまたたき」を朗読した時の話もありました。