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近江八幡

天正4(1576)年、織田信長が安土に城を築きました。地上6階地下1階、それまでの常識を覆す城、世界初の木造高層建築、の、誕生だったそうです。しかしわずか6年のちの天正10(1582)年「本能寺の変」で信長が倒れ、その後天守と本丸は焼失(原因は不明)しました。二の丸は焼け残り、信長の孫秀信が清洲会議の後入城し織田家の居城として機能していました。天正13(1585)年、豊臣秀次(18歳)が(実際には秀吉が)、近江八幡に八幡城を築城、安土の建物や町機能を、八幡にすっかり移したのでした。

秀次は天正18(1590)年に清洲城に移封となり、その後は京極高次が入城しました。文禄4(1595)年秀次は切腹することとなり、築城から10年で八幡城は廃城となり、京極高次は大津城へ移りました。

八幡城の城下町としての街並みが今に残り、また、中世から近世に活躍した近江商人を輩出したことでも知られます。江戸時代には中山道の武佐宿としても活気を呈しました。

八幡城趾には近江鉄道八幡山ケーブルカーが設置されており、琵琶湖、西湖、比良山系を見渡すことができます。

https://www.ohmitetudo.co.jp/ropeway/

ケーブルの乗り場横、日牟禮八幡宮は「左義長まつり」(3月14・15日に近い土日に開催)で知られます。

近江八幡市立資料館(郷土資料館、歴史民俗資料館、旧西川家住宅)でこのお祭りのことを知りました。VTRを見ましたが凄い!華やかに飾り立てられた左義長は、若衆達に担がれ、旧城下町を練り歩き、「ケンカ」をし(左義長同士をぶつけ合います)、ダシ(飾り)コンクールを競い、そして最終日、ほぼ一年かかって作り上げた「ダシ」を燃やします。

いつも行くところ行くところで、「知らなかった、凄い」を連発していますが、今回も同じで、八幡の人々の豊かな営みを、この資料館で知ることができました。我が家もお世話になっている、「ふとんの西川」さんがこの町の出身とも知りませんでした。

明治38年この地に一人の米国人の若者が降り立ちました。YMCA派遣の英語教師、後に建築設計事務所を立ち上げ、多くの建物の設計をした、ウィリアム・メレル・ヴォーリズです。彼と、妻の一柳満喜子が残した多くの遺産が、この近江八幡をさらに豊かな街にしました。

多岐にわたるヴォーリズと満喜子の足跡を辿るとき、その精神の尊さに心が震えます。ヴォーリズ記念館を訪れました。金木犀の香る玄関には「一柳米来留」の表札が。第二次世界大戦時、帰化して日本に残ることを選択した彼の日本名です(アメリカ=米から、来て、日本に留まる)。

記念館は元々幼稚園の先生達の寄宿舎として建てられ、その後ヴォーリズと満喜子の住居となりました。素敵な内部は写真撮影は可、でもSNSアップは控えてください、とのことでした。

次に、ハイド記念館、教育会館へ。素敵なオーボエの音色が聞こえてきました。

横にはヴォーリズ学園があります。素敵な校舎で暮らすことのできる学生たち、きっとのちに大きな遺産を手にすることでしょう。

https://www.vories.ac.jp/

八幡堀近く、日牟礼八幡宮鳥居近く、に、(株)近江兄弟社があります。メンターム資料館が併設されており、ヴォーリズの足跡をここでも辿ることができます。彼はアメリカのメンソレタームを日本に輸入、後に製造販売した実業家でもありました。そして、近江療養院(現ヴォーリズ記念病院)の建設、市内の子どもたちの教育の場として図書館や近江兄弟社学園(現ヴォーリズ学園)の設立など、多岐にわたる社会貢献活動を展開しました。第二次世界大戦を苦しい思いで乗り越え、83歳で亡くなるまで日本を愛し、活躍しました。  http://www.omibh.co.jp/

近江八幡の町にはたくさんのヴォーリズ建築が残されており、それを多くの有志の人たちが守っています。「ひとつぶの種」の活動は全国に広がり、全国のヴォーリズ建築を守っています。この旧近江八幡郵便局内ではカフェを展開しています。コーヒーと柿タルト、栗タルトを美味しくいただきました。https://www.instagram.com/hitotsubu.no.tane/

また全国のヴォーリズ建築の案内も随時しておられます。

近江八幡の町は、古い日本家屋とヴォーリズ建築とが、共存し、守られていて独特の味わいを醸し出しています。素敵な町です。

日本一遅い舟での、八幡堀めぐりも楽しかったです。台湾から来た親子連れ(日本の旅15日間の14日目だとのことでした。私と多分同世代の親御さんと息子さん、人懐っこいお母さんと金沢が好きだったという息子さん、そして杖をついておられながらも果敢に旅を楽しんでいるお父さんでした)との会話も楽しかったです。

西湖の水郷巡りを逃したのが残念でした。また行こう!と思います。

2024年10月19日〜21日

私は、大学時代、ヴォーリズ建築の学舎で学びました。元々幼稚園だったものを大学の学舎に使ったもので、小さな建物でしたが、優しさに溢れた思い出の残る学舎です。改めてヴォーリズさんと満喜子さんの強さ、周囲の人々との関わり合い、に触れることができて幸せでした。

近江八幡あちらこちらで金木犀が真っ盛り、良い香りに包まれた旅でした。

後日、安土城跡、安土城考古学博物館、信長の館にも行きました。安土の地の歴史もまた興味深かったです。信長の館はうーん、蛇足だったようにも思いました。