今回ご紹介するのは「ないじぇるアートトーク」です。東京都立川市にある国文学研究資料館が、現在活躍しているクリエーターを招いて、ともに古典籍をひらき探求し、新たな文化的価値を創出するプロジェクトだそうです。今回のゲストは、「この世界の片隅に」などで知られる、アニメーション映画監督の片渕須直監督です。
次回作で、清少納言が活躍した平安京を舞台に彼女を取り巻く人々を描く予定の片渕監督は、徹底的に当時の資料を読み解き、イマジネーションを膨らませ、イラスト化したり、新しい解釈を展開していきます。
はじめショートバージョンをみて、あまりに面白いので、ロングバージョンもみました。
https://www.youtube.com/watch?v=Xa5zMlPjst8
https://www.youtube.com/watch?v=C7BKIfeXM8U&t=4814s
面白い!!!片渕監督の作業量・熱量はすごくて色々なお話が次々と湧き出してきます。
「マイマイ新子と千年の魔法」で子どもの頃の清少納言を描いた監督はそれから、更に清少納言のことをあれこれ考え、絵にしていきます。そして映画にしていこう=文字からビジュアルのイメージを思い起こそう、と思います。「枕草子」は素直にみたまんまを、思い出を残すように、描いているのではないか、と監督は読み解きます。
例えば、鈍色の服を着て袴は紅で・・・という表現が絵になる、そのような絵を提示することができる、枕草子の読み方の可能性の一つを提示できる、と監督は考えます。
枕草子の中に書かれている清少納言と定子は、尊敬を超えたところで結びついている二人の女性として描かれることが多かったけれど、本当のところはどうだったのか?
そして枕草子以外の文献を探っていくのです。その徹底した調査結果膨大な資料には、びっくりします。
延喜式にある天皇、中宮に必要な反物の記事から、中宮の服装は、ワンピース(十二単衣)ではなく、ツーピース(奈良時代高松塚古墳に出てくるような中国風のもの)だということがわかるというのです。
また中宮の仕事を調べたら、、、仕事が、、、ない。
一回だけ立后(民間人から中宮=天皇の正式な第一の妃になる儀式)の際に登場する・・・はずなんだけど、紫宸殿には当人は登場しないまま。中宮になる女性は白い装束を着て、実家で待って、椅子に座っていて、中宮になるための荷物を届ける係の男性が一人いる。そして中宮が「きこしをす(よろしく取り計らってください)」と一言いうだけ。十二単衣では椅子に座ることはできないので(寝転がっている時の服らしいそうです)この時は中国風のツーピースを着ているのではないか、ということです。この時以外に中宮にはお仕事がない。天皇と同じような権威を持たされているけれどもお仕事はない。
そんな大きな権威を持っている中宮定子について。一条天皇の中宮〜皇后で、清少納言のボス。清少納言は生き生きとボスの言動を描きました。とても魅力的なお茶目なお妃です。言葉数の多い人で、周囲に気遣って喋るのではない。駄洒落が大好きで反応が返ってくるのを待つ。姫君として大人しく納まっている人ではない。例えば、定子が、中国の宋の国の人にお金を払ったのに間で着服されて相手に渡っていないということがありました。・・・自分のお金が盗られたことよりも、相手の人にお金が渡っていないことが問題だからお金を早く届けて欲しい、というような、外交姿勢を持った人で、そんな定子に、「仕事がない」というのは彼女にとって残念なことだと、監督の言葉。
なんだか目の前で定子が動き出しそうなエピソードです。
また、清少納言の出仕の背景についての片渕監督の分析は次の通りです。
定子が立后(990年)しても、二人の間に世継ぎもなく、その地位は盤石でない。993年、五節の舞姫などの行事を定子が行い、その時に清少納言が新人として採用されたのではないか。
監督は、五節の舞姫の控え室のスケッチ、を示し、イメージを視覚化していきます。一人の舞姫が、片側だけ赤紐をかけているのが解けているのを困っていた。すると藤原実方が御簾から手を入れて紐を直してあげる。清少納言はそこに座っている。実方が歌を贈り、清少納言が歌を返すが、座ったままで直接伝えられなくて、間に入った人が歌を伝えていく。というようなことが、監督によると、「枕草子に書いてある通りに描いていくととてもリアルに映像化されていく」のだそうです。しかしそれは片渕監督の細密な考証があるからで、本当にこの監督、只者ではない。
只者ではないのは中宮定子を囲む人たちも同じ。中宮の周囲には、女房三役(宣旨=高階光子・内侍=馬内侍・御匣殿(みくしげどの)=定子の妹)と中宮の乳母(身の回りの世話をする人で従五位の下という位にあった)、という人々がいます。高階光子さんは、のちに呪詛の疑いで逮捕状が出たり、など、それぞれにエピソード満載。
清少納言の出仕は、馬内侍という人(村上円融天皇にも仕えたという記録があり、馬の内侍集という歌集も残している)の後に入ったのだろう、その時はまだまだ定子の側に寄ることもできず、直接話をすることもできなかっただろう、という、片渕監督の考証、丁寧で説得力があります。
枕草子の中にあるエピソードは時間軸がバラバラでその時間軸を片渕監督は整理しておられます。清少納言が出仕した日は雪が降っていた・・・伊周が来て道隆が来た。と書いてあるところから993年の雪が降っている日や内裏に出仕した日を探していくうちに、この日だったんだろうと条件を重ねていって、考えれば考えるほど、その人たちの動線に想像が広がっていく様子を語っておられます。993年の11月1日だと道隆と伊周が出勤、日中は小雨、だとある、雨が夜更けすぎに雪に変わった可能性がある(今の暦ならば12月25日くらい)。11月18日は内裏がお休みの日(6日に1回お休みがある)、休日出勤もあるみたい、と出勤の様子を突き合わせていくことによって見えてくる。生き生きと人々が動き出す・・・。
監督は、とても細かく考証していくので、時間がいくらあっても足りない・・・。
宰相の君という人が中宮の手紙を代筆して実家に帰っている清少納言に送っています。頻繁に実家に帰り、催促されないと内裏に戻らない清少納言を、中宮は身近にいてほしいと思っている様子(この宰相の君もなかなかチャーミングな人です)。
沢山の刺激的なお話の後、質問コーナーがありました。
紫式部についての印象を問われた監督は、「お父さんが漢詩漢文に造詣が深くて、中国からの交易船が越前にくることがあって、ちょうど外交官として派遣された可能性があって、そういう意味で、漢籍に詳しいことに誇りを持っているので、清少納言の漢文はダメだと書いていたりする、逆に清少納言を意識している人だと思う。清少納言が楽しいことで枕草子を散りばめていることに対して、紫式部はそんな楽しいことばかり書いているのはダメなんじゃない、と思っていたのでは」と語ります。
清少納言がなぜしばしば家に帰ったのか、という質問に対して、「清少納言は非常勤だったろうし、子どもがいて、姉や姉の子どもがいて、そういうところに変える必要が彼女にはあったのではないか。台風がきた後木が倒れているエピソードが彼女の実家なのではないか?と考えたりする。彼女にとっての家が枕草子の中にも描写されているのでは?と想像できる」「他にも夫のエピソードや、子どものエピソードは自分の子どもや甥っ子姪っ子の様子だったんじゃないか、と考えると、読み方の可能性が広がる」と語ります。
そのような監督のお話を聞いていると(まだ何時間も喋ることができる、と監督はおっしぃマス)清少納言という人が立体的になってきて、動き出すように思いました。アニメーション楽しみですね。大河ドラマの「紫式部」と合わせて楽しみです。
2022年12月1日(木)たくさん書きたいことがあるのですがなかなか書けないままもう師走です。気ぜわしくなります。年明けて1月13日(金)書き間違い気づいていたのですが今日やっと書き直しました。お見苦しい内容すいませんでした。