旅ブログ

ヴォーリズ建築①関西学院

師走に入り、あちらこちらで紅葉が美しいです。どこもここも綺麗。あちらこちらにクリスマスの飾りを見かけるようにもなりました。

関西学院大学の時計台、以前は図書館だったのですが、今は博物館になっていて、開館10周年企画「天を見あげて・・・関西学院大学のヴォーリズ建築」を12月14日まで行なっています。関学名物のクリスマスツリーも12月2日に点灯式があり、そして紅葉も美しいだろうと、一石三鳥を狙って、出かけました。 

https://www.kwansei.ac.jp/museum/exhibition/exhibition01

3時半過ぎに到着した大学は思いのほか人が少なく、静かでした。まっすぐ時計台に向かいます。

この手すりのアイアンワーク(金属製の装飾)は戦中期に金属供出で撤去されました。今回、建築学部の石榑准教授が木製模型で複製し、展示されています。(関学に建築学部ができているのも初めて知りました)。穴の空いたそっけない階段が、大きく変化しました。(下の写真の左側が穴の空いたまま、右側が複製された部分です)。

階段を登って正面にゴジラと時計台。卒業生の縁でコラボが叶ったそうです。入って両側に原田の森の校舎と上ヶ原校舎の復元模型。窓は昭和のなみなみガラスです。

今年は、ヴォーリズ没後60年に当たるとのこと、図面や写真、実際の器物、模型などの展示をゆっくり楽しみました(入口受付で4時15分までですと言われて焦ったのですが30分まで黙っていてくれました)。

昭和17年の秋、軍部の命令で、時計台に刻まれている「Mastery for Service」(関学のカレッジモットー)が取り壊されました(学院の自発的行為という記憶の方もおられるそうです)。当時商学部学生だった高田さんは「惜しい」という気持ちに駆られ、砕けた石にこの教えの文字を探し求め、”MAS”と”商神マーキュリー”の二つのかけらを見つけ、故郷鳥取に持ち帰ることにしました。汽車の旅で重そうなものを持っていれば検査された当時、取り締まりの厳しい大阪経由をやめて、津山経由で帰ったそうです。

戦後1949年夏エンブレムは復元されました。

高田さんは1980年に62歳で昇天され、遺品となった破片(と言っても重さ13キロ以上のものです)はご遺族から学院に寄付されました。

また戦争中は建物に黒の迷彩が施され(今も残っているところがあるそうです)、芝生も日本庭園も荒れ放題のゴーストタウンになっていたそうです(写真は1946年パンフレットより)。

ハミル館(元日曜学校教師養成所、のちに幼稚園、その後は文学部心理学教室として使われています)設計図。

時計台は竹中工務店が施工、寄付です。また、ヴォーリズは、メンソレタームを製造販売していました。

さまざまな展示を興味深く見て、時計台を出ました。さまざまな木々の紅葉が、ヴォーリズ建築に美しく映えます。学生さんは、ほとんどいません。どこにいるのだろう。

ハミル館です。ここで、多くの人に出会い、多くのことを学びました。あの頃は若くてわからなかった価値や意味を今強く感じます。

私たちの恩師は、ハミル館が幼稚園だった頃に幼稚園に行き、大学で、心理学教室となったハミル館に再会し、ずっとここで研究を続けられました。

文学部入口にはクリスマスツリーが飾ってありました。

散歩している間にツリーに点灯されました。

帰宅したらもう真暗。三日月でした。関学のシンボルは、新月、三日月です。一石4鳥の気分でした。

2024年12月4日のしあわせさんぽ。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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