私の住んでいる大阪北部では、5月末から6月初めがヒメボタル、そして6月はゲンジボタル、8月にかけてヘイケボタル、9月までクロマドホタル、が美しい季節です。
今年の蛍鑑賞は、まず5月末の、千里高校横の山田西公園(高野池あたり)のヒメボタル。高野池ではウシガエルが思い切り鳴いていました。「ぎゅうーぎゅうーもーもー」というカエルの大合唱が響き渡る中、ホタルが出迎えてくれました。カメラのストロボのように短く、大体0.5秒毎に、ピッ・ピッ・ピッと光を点滅させることが特徴。ヒメボタルの幼虫は陸生で、雌は飛翔できないので飛んでいるのは全て雄です。三脚を立てて撮影している人あり、犬の散歩をしている人もあり、家族づれもおり、三々五々に人々が、気持ちの良い空気とホタルの美しさを楽しんでいました。
ゲンジボタルを観賞しようと、6月26日土曜の夜、箕面の滝に車で繰り出しました。途中の夜景も美しく、楽しい時間ですが、夜の箕面の山は暴走を楽しむ輩がいてそれは大変迷惑です。滝近くの駐車場で急ブレーキをかけてUターンして、という車が怖い。行ってみると今年は問題の駐車場、有料になっていました、よかった。とはいえ、ぶんぶんいわせている車たちは、やはりいました。
駐車場から滝に降りる道も整備されていて、去年より明るくなっていました。家族づれの人もいて皆気軽にのんびり蛍が楽しんでいます。滝の近くにくるとザアーッという音と山側の暗さとで小さな子どもさんには怖いようで「早くお家に帰りたいよう」と泣きそうな声も聞こえます。しかし蛍が飛ぶのをみると、子どもたちは蛍を追いかけて「きれいだね」。私たち大人も蛍の光に笑顔になります。滝の流れの周りを飛び交う蛍、美しく不思議な光に大満足です。ゲンジボタルの幼虫は水性で雄雌共に飛翔します。2秒周期で光るのでヒメボタルよりは少しゆっくり・・・私自身にはちょっと違いがわからない・・・。
帰宅すると、箕面ホタルを守るの会の石田達郎さん→箕面ホタルを守る会のサイトは
http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/1554
から、箕面滝道から五月山に抜ける小さなトンネル向こうの「落合谷橋」で蛍が爆光しているとの情報、是非見たいと28日(火)に今度は箕面駅から歩いていくことにしました。駅からゆっくり歩く道もレトロな雰囲気に溢れていて良い雰囲気です。途中にある山本珈琲店から川の方に行ったあたりもホタルの観察スポットですが、私たちは落合谷橋を目指します。
こんな標識が見えたら左手のトンネル(短いですが真っ暗です)を抜ける。するとすぐに落合谷橋があります。
私たちは早めに着いたのでまだ空が明るい・・・しばし待つ間に、声がトンネルの向こうから、「ここかな」「ここだよ」。スマホの光とともに現れたのは、素敵なカップル。大学でホタルを研究し始めている彼女(阪大構内でもホタルが飛翔しているそうです)と、彼女に付き合ってボディガードとしてきたという彼。二人は箕面ホタルを守る会のHPを見てやってきたと言います。私たちホタルを守る会のメンバーは(幽霊部員ですが)、大喜びです。
彼らとおしゃべりしながら待つうちに、ホタルが光り始めました。わいわい言いながら楽しむこと約1時間、石田さんが報告してくださった「完全同時明滅(同調発光)」も見られました。30灯くらいとの報告でした。数えようとしましたが数えられない・・・。
箕面ホタルを守る会では、次に絶滅が危惧されているヘイケボタルの観賞会を行う予定です。そのあとはクロマドホタルです。
吹田の蛍も、箕面の蛍も、日本中のあちらこちらで、定点観測し、蛍を守るために活動している人々がいることで、美しい姿を私たちに見せてくれます。感謝感謝。
万葉集に蛍が歌われたものは一首のみ。万葉の昔から蛍はいた、暗い夜に飛翔する蛍は光の溢れる今よりも目立ったと思うし、不思議な力をその光に感じたのではないかと思いますが、なぜか一首のみ。不思議ですね。私たち現代人は真暗闇の中で蛍を観ることはなく、その仄かなきらめきはほっこりするものですが、真暗闇の中で暮らす万葉の人々は、蛍の光に、むしろ畏れや不吉さを強く感じていたのかもしれないです(当てずっぽうです)。蛍は心の不安定さを表すものとして次のように歌われています。
この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我が待ち居れば 黄葉の 過ぎてい行くと 玉桙の 使の言へば 螢なす ほのかに聞きて 大地を ほのほと踏みて 立ちて居て ゆくへも知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 丈足らず 八尺の嘆き 嘆けども 験をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲の 行きのまにまに 射ゆ鹿猪の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭のみし泣かゆ(万葉集 巻13 3344)作者不詳
この月こそは君が帰って来てくださるかとも大船に乗る思いを頼みに、いつだろう、早く、と待ちわびていれば、君は黄葉のようにこの世を去って行かれたとのこと。使者からのその知らせを蛍火のように仄かにぼんやりと聞くしかできず、大地を炎がゆらめくように踏み立ち、どこへ行けばいいのかもわからず朝霧の中で迷いながら嘆き喚いても甲斐もなく、どこに君がいるのかと、天雲の流れるままに身をまかせ、射られた鹿や猪のように君を尋ねて行って死のうと思うのだけど、その道すらも知らないので、1人でじっと君を恋していると、声をあげて泣くしかないのです。
防人の妻の歌。哀しい歌ですね。この歌では、蛍は仄かにぼんやりとした、自分が自分でないような心持ちの状態の例えとして使われています。ここで思い出すのは、やはり、和泉式部の歌ですね。
物思へば 沢の蛍も 我が身から あくがれ出づる 魂かとぞ見る(後拾遺集 1162)
あなたが恋しくて重い悩んでいると、沢に翔んでいる蛍も、自分の体からさまよい出てきた魂ではないかと思うのです。
和泉式部は万葉集の歌を知っていたのでしょうか?勉強不足で全くわかりません。また読む本が増えました。まだ何の本を読めばいいのかもわかっていませんが・・・
2021・7・2