7月27日の上弦の月は私は見ることができませんでした。
今日の月は美しいです。
雲が月の周りを囲み、雲と空の狭間がまるで夜の虹のように見えました。少し歩いて空を眺めると、綺麗に雲が消えて、また次の瞬間に雲が流れてきて、月の周りに、白いなでしこの花びらのように輪を作りました。
帰宅してベランダから南の空を見ると、月はまた薄く雲を被ってはいますが、明るい光を放っています。
雨晴れて 清く照りたる この月夜 また更にして 雲なたなびき
あめはれて きよくてりたる このつくよ またさらにして くもなたなびき
大伴家持 万葉集 (巻八1569)
珍しく雨が晴れて清らかに照ったこの月よ。また夜が更けてから雲がかからないでほしい。
736年家持18、9歳の時、秋9月(新暦だと10月ごろ)に作った歌です。季節は違いますが、ちょうど今日の月に思う私の心と同じ歌です。
ぬばたまの 夜渡る月を 幾夜経と 数みつつ妹は われ待つらむそ
ぬばたまの よわたるつきを いくよふと よみつついもは われまつらんそ
大伴家持 万葉集 (巻十八4072)
ぬばたまの夜空を渡る月を幾夜たったかと数えながら都の妻は私を待っているだろう。
この歌は「この夜月光がゆるやかに光を投げ、静かな風が穏やかに吹いていたので、この風光を持って一首を作ってみた」という註が付いています。越中国守として赴任した家持が、多くの人が集まった宴会で歌った歌です。宴会を楽しみ、土地の人々と仲良くしながらも、素直に都に残した坂上大嬢を懐かしむ歌。この率直さ、いいですね。
月見れば 同じ国なり 山こそば 君が辺を 隔てたりけれ
つきみれば おなじくになり やまこそば きみがあたりを へだてたりけれ
大伴池主(いけぬし) 万葉集 (巻十八 4073)
月を見ると同じ国土だと思われます。だのに山こそがあなたの辺りを隔てていることです。
大伴池主が越中国から越前国へと赴任し、そこで家持を懐かしむ手紙を送った時の、749年3月の歌です。池主は家持のおそらく幼馴染で、家持の歌の先導者でもあり、また万葉集巻十七は池主の筆録が元だと考えられています。家持の子の名が「永主」であることは、地主と家持の関係の深さを表しているのではないかと私は勝手に思っています。これまでにも触れたように、のち池主は757年6月橘奈良麻呂の乱に関与して7月に投獄されました。家持はこの乱には関与せず、大伴家の当主として生き続けました。
月を巡って今日はこの3首を味わってみました。
その間に月は西に移動し、今は雲が月を隠していますが、月の光はほのかに漏れています。
コロナ感染者が増えていますが、わたしたちにはほとんどなすすべもありません。また人々同士の争いが生みだす悲しみもなくなることはありません。とはいえ、わたしたちは、万葉の頃と変わらず、毎日の暮らしを慈しみ、恋をし、家族を思い、大切な命を守ろうとしています。
月は私たちをどのようにみているのでしょうか。
2020.7.29