一気に読みました。途中で止めることができなかった。ザラザラヒリヒリした読後感。
この本を読見終わった今、ただの閣議決定で決まった安倍晋太郎元首相の国葬がまもなく行われようとしており、その閣議を組織する閣僚たちは統一教会との関係において知らぬ存ぜぬを通そうとしており、ジェンダーフリーという言葉に強い非難が向けられた経緯の一端が明らかになろうとしております。この本の主人公の今に思いを馳せたとき、作者西加奈子さんの、時代を見通す確かな目、そして彼女が「当事者でもない自分が書いていいのか」と葛藤したこの作品の力を感じました。
まず飛び込んでくるのは、レバノン出身のカミール・ジブラン「預言者のことば」からの抜粋文です。カミール・ジブランは、1883年生まれ、借金を重ねた父の元を離れ、母の兄を頼ってアメリカボストンに移住し教育を受け、才能を開花させた人です。彼は、現代の、周囲によって作られる狂気を書きました。ここにあげられている彼の言葉はこの本を読んだ後にしみじみと心に響きます。「あなたの子供は、あなたの子供ではない。命そのものが再生を願う、その願いの息子であり、娘である。〜〜」
次に、インドはなぜ貧しいのかを考えるために経済学者になりノーベル賞を受賞した、アマルティア・セン(1933〜)の「貧困とは潜在能力を実現する権利の剥奪」という言葉。
その次に、女優市原悦子(1938〜2019)の「悪人善人というのはない。人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだ。」という言葉が続きます。
物語の始まり、「アキ・マケライネンのことをあいつに教えたのは俺だ。〜」を読んで、また私は「アキ・マケライネン」を検索しました。そしたら「アキ・カリウスマキ(フィンランドの映画監督)」と「西加奈子」が登場しました。みんな調べてるんだ・・・西さんに引っ掛けられたんだ・・・
以後検索することなく、読み進みました。止まらなくなりました。涙が滲み、辛くて読むのをやめたくなる時もありましたが、やめられない。
母から愛されることなく施設と家を行ったり来たりして成長した、異形で吃音の「アキ」こと深澤あきらは自分が「アキ・マケライネンに似ている」という一点において自分の存在意義を感じることができました。父の自殺により生活が崩壊した「俺」。早くに母を亡くし、左手に障害のある父を助けてアルバイトをしている漫画の上手な女子「遠峰」。1982〜3年に生まれた(ロス・ジェネレーションと呼ばれた世代)3人は高校で出会いました。辛いことも多々ありましたがそれでも高校時代は楽しかった。
「アキ・マケライネン」を目指して劇団員になった「アキ」、と、奨学金とアルバイトで大学を卒業しキー局の下請け制作会社に入社した「俺」。二人は自分の存在をかけてその場で頑張ります。「遠峰」はホテルの客室係として就職し、さりげなく俺を支えてくれています。
「アキ」と「俺」の周囲の人々の輪郭の危うさも描かれます。一人消え、二人消えしていく職場の中で「俺」は負けじと頑張りますが、嘔吐し、手首を切り、とコントロールを失っていきます。「アキ」も劇団を追われるように去り、「アキ・マケライネン」として生きることのできる不思議な場所にたどり着きます。
セクハラ、パワハラ、過酷な労働、時間外勤務、最低賃金以下、未成年買春・・・信じ難い事実が積み上がっていき、二人の心は壊れていきます。会社をクビになり、引きこもっている「俺」を後輩の女性「森」が訪ねて来ました。「森」が持参したのはフィンランドからの荷物。
「森」はたくさん喋ります。「俺」が否定しても「俺はセクハラにあっていた、それを相手に認めてもらった」と言い、「俺の先輩の女性田沢さん」の現在について話し、「困ったときにあらゆる人に助けてもらう権利がある」いや「助けてもらう、という言葉は間違っている、困っている人を助けるのは当たり前だから」と語り、「先輩の家にきたのは田沢さんから行きなさいって言われたから、あいつはきっと今苦しい思いをしてるからって、って言われたから。田沢さんは苦しかったら助けを求めろ、と先輩に伝言した。」と言って帰ります。
荷物を開けたらそれは「アキ」の遺品、ノートでした。「アキ・マケライネン」の恋人「ロッテン・ニエミからの手紙には、「フカザワアキラ」との出会いと一緒に暮らした一年の様子、その死について、そして「アキ・マケライネン」が母から虐待され続けた子であったこと、「フカザワアキラ」との不思議な関係、が綴られていました。
そして「アキ」のノートには、『「男たちの朝」の本当のタイトルは「夜が明ける」であり、「夜が明ける」は素敵な言葉だ、みんなの夜が明けるんだよ。』と書かれていました。その手紙、ノートを読んだ「俺」は周囲の人々の力を借りて再生の道を歩みます。
最後のシーン、2016年7月参議院選挙に立候補している「あんべたくま」という政治家、と、「文句ばかり言って代案を出せない、いい加減な党」を否定する現・内閣総理大臣が登場します。その後に起きる事件の数々(相模原障害者施設殺傷事件、電通女性社員自殺、「保護舐めんな」ジャンパー事件、など)を「知らなかった」と語る「俺」の言葉で終わります。
貧困・虐待・過重労働などなど・・・日本の現在2022年も変わっていません。当時の内閣総理大臣は射殺され国葬が行われようとしていますが、各種アンケート調査では、反対する人が過半数を超えています。長い間その政権が続いたことが国葬の理由となっていますが、その長い間に失われたものの大きさは計りしれません。
父が自殺し、母が宗教に走り、家が破産し、自殺未遂し、兄が自殺し・・・そんな中で「助け」を求めることができない・・・「内側からその人間を苦しめる停滞する血の爆発」が彼を襲った・・・「苛烈に深く、暗い、この夜」は明けるのだろうか、と感じます。
「預言者のことば」で始まった、この小説は、まさしく「預言」に満ちていました。「俺」は今どこで何を思っているだろう?と想像を巡らし、「俺」の「夜が明ける」物語を読みたいと思いました。
2022年9月24日(土)今朝の夜明け風景
国葬は9月27日に行われる予定、「丁寧な説明」が行われる気配はありませんね。