社会をまなぶ

映画)プリズン・サークル

箕面で『プリズン・サークル(2020年1月公開)』上映会がある、と友人に教えてもらい、行きました。衝撃的な映画でした。

https://prison-circle.com/

映画の始まりはとても印象的です。

「昔々あるところに嘘しかつかない少年がいました。」朴訥とした若い男性の語り、青い砂で描かれた小さな男の子、彼に気づかず歩く群衆のアニメーション・・・深い青色の砂はのたうつように動きます。「少年はどんなことがあっても絶対に本当のことを言いません。少年は寂しがり屋なので、誰かと一緒にいたいと思っていますが、嘘しか言わない少年のことなど、街の人は誰も相手にしません。孤独で気が狂いそうになっても、それでも少年は嘘しか言いません。少年には嘘しか言えない理由がありました・・・」

「映画『プリズン・サークル』はこの物語との遭遇から生まれた。」と監督坂上香さんは、本『プリズン・サークル』のプロローグで書いておられます。

取材許可まで6年かかり、2014年夏から2年間の刑務所内で撮影、初めて日本の刑務所(島根あさひ社会復帰促進センター)にカメラが入りました。そして出所者の取材も含めて約5年間カメラを回し、「処罰から回復へ」の軌跡を描いたドキュメンタリー映画が作られました。

「島根あさひ社会復帰促進センター」は、全国4箇所にある、官民混合運営型の刑務所の一つです。「社会復帰促進センター」は更生の場として位置付けられ、矯正教育や就労支援など新しい取り組みを積極的に行うことを目的にして作られました。

そこで、TCユニットという、更生に特化したプログラム(当事者たちの力を使って共同体の中で解決し、人間的に成長していこうとする試み)が行われています。希望制で、応募と審査を経て、TCの参加者が決まります。1ユニット40人程度、生活や刑務作業を共にしながら、プログラムを受講します。

このプログラムはアメリカのアリゾナ州にある社会復帰施設「アミティ」をモデルにしています。スイスの元精神分析医アリス・ミラー(暴力の連載とそれを断ち切る必要性を説いた人物)の考えを取り入れた「アミティ」のプログラムは、現在カリフォルニアの5つの刑務所内に取り入れられており、男女2500人の受刑者が参加しています。(坂上香監督は1995年からアミティの取材を重ね、衝撃を受け、映画『ライファーズ』を制作しました。しかし島根あさひのTCプログラムとの仲立ちを彼女がしたのではありません。)

このTCプログラムで生み出されていくさまざまな「奇跡」いや「当たり前の変化」が私たちの胸を打ちます。主人公は4人の男性受刑者、皆20代。軽いノリの拓也、温和な真人、重たい雰囲気を纏っている翔、変化の大きかった健太郎。

TCでは、「自分の心の動きや感情を感じ取り、認識し、表現する力」=「感情の筋肉」を鍛えることが重要視されます。感じて、言葉にして、きちんと伝えることができたら、暴力には至りません。

しかし、例えば、健太郎は「何も感じません」を繰り返しました。拓也は、子ども時代の話になるとノリの良さは失われ口をつぐみました。真人は、親からの虐待を覚えていませんでした。翔は、長い間「寂しさ」と「怖さ」という感覚がわかりませんでした。

幼少時の逆境体験やトラウマが、ものを感じることを阻害するのです。彼らは、生き延びるために感情を麻痺させてきたのです。TCでは、そのような状態「感盲」を認識することを学びます。テキストを使っての学び、支援員が混じっての語り合いによる学び、さまざまな場面が映ります。

家庭の習慣や暗黙のルールを話す場面で、「パス」を繰り返した拓也は、珍しく個別相談を男性相談員に持ちかけました。「きつかったですか?」と切り出した相談員に対して、「自分がここに来ちゃったことの言い訳にしたくないんですね」と拓也は言います。(相談員)「考えるつらさがあると思うんですけど・・・特に重いことを考え始めると。それを抱えられるようになることがここを出るまでに少なくともできることですね」(拓也)「・・・・どんな状態が抱えられるって言えますか?」(相談員)「・・・揺れても心の中に置いて考えられることかな。家族のなこと考えるの難しいですか?」(拓也)「そうですね・・家族は難しいですね」・・・・(相談員)「でも多分いま向き合いどきですよ」(拓也)「そうですね」

別の場面で拓也は「ギューッとしてもらいたくなるっていうか・・・抱きしめられたいって感覚がすごく強くって・・・」と語り始めました。それに正面から向き合い耳を傾け、うなづきながら聴いていた真人からは「僕、布団たたき、ガムテープ、浴槽がダメなんですよね。絶対家に置かないですよね。昔何をされたかってことは覚えていなくて・・・・多分そういうアイテムが家にあったらきついっていうのは、そういうところなのかなって」という言葉が溢れてきました。

映画では、さまざまな場面が映し出され、行きつ戻りつしながら、4人の言葉を中心にさまざまな言葉が紡がれていきます。

グループで、加害の体験が語られました。自分の罪と向き合い、苦しい思いをしながらの悔いの気持ちのこもった語りでした。健太郎は、メンバーの「いじめた体験」を聴きながら激しく動揺し、自らの「いじめられ体験」、「本当は人が背中に立っただけで怖い」と語りました。

健太郎は自分から人と話すようになり、「生きてて楽しいなと思えることがここにはたくさんある」「前は余計なお世話と思っていたことが、今は素直にありがたい」と、変化していきます。

初めの頃は「被害者に対してどう思うか?」という点において、皆、希薄でした。周りから常に反省を求められて、確かに「反省のふり」はしていたけれど、本音ではどこか「無理やり反省させられている」ことへの自己憐憫や恨みが生まれます。TCでは形だけの反省からの脱却を目指すプログラムも組み込まれています。それも「話し合い」からなります。

繰り返し話し合い、事件の時の気持ちを他者から問われ、確認していく中で、事件と向き合うことが「辛く」なります。皆同様に「辛い」気持ちを持っっており、その「辛さ」も共有されます。揺れる気持ちの葛藤を体感できるように、二つの椅子に座ってそれぞれの気持ちを表現する、という方法も用いられていました。二つの椅子の背後には、見守る人が2人(支援員と仲間)がいて、「葛藤」を共有します。

また、訓練生の事件を扱って「被害者・加害者ロールプレイ」が行われることもあります。その中では他の訓練生が、被害者や加害者の家族の役を担ってロールプレイが行われます。それぞれの気持ちが動き、変化していく様子が、画面から強く伝わってきました。

そのように「加害」と向き合う中で、彼ら自身の「被害」も明らかになっていきます。彼らの体験の苛酷さにより、罪を許されるものではありませんが、しかし、暴力虐待の連鎖の厳しさの前には言葉を失います。たくさんの子ども若者たちが、今もその連鎖の中にいることは紛れもない事実です。

映画の終わり、「嘘つきの少年」の終わりの部分も強く心に残っています。自分の嘘を認め、皆に明かすことから、少年の未来は変わる。

たくさんの時間や手間がかかりますが、「処罰」ではなく「修復」の場として、矯正施設が存在できることの意義はとても大きいと思います。しかし、「島根あさひ社会復帰促進センター」2000人の中で、TCユニットに参加できるのは40人弱。TCユニットは全国でここでしか行われていません。

映画鑑賞の後、大阪公立大学の坂東希さんが、質問を受け付けてくださいました。

「島根あさひ社会復帰促進センター」は、官民混合運営型刑務所で、大林組PFI事業部が建設、維持管理、運営を担っており、支援員たちもその職員なのです。大林組の事業担当責任者の方の熱心な取り組みで、このプログラムは実施されました。しかし契約年数が切れるなどで、来年度以降継続できるかどうかはわからない、というのが現状だそうです。

人を育てることに「時間」「お金」をかけない思想の貧困が、結局社会を貧しく生きにくいものにしている・・・けれどそれを修復する「お金」がない・・・。と愚痴ってばかりもいられませんので、本を二冊買いました。うーむ、本は増やさない、と決めているのですが・・・

どちらの本も読み応えがありました。

映画『プリズン・サークル』に収まらなかったエピソードや背景の詳しい説明、その後のこと、監督自身の物語、が、本『プリズン・サークル』には書かれています。

また、10代の4人が、お互い同士、犯罪の加害者、被害者、と5回にわたって話し合った内容をまとめた『根っからの悪人っているの?』には、若い感性に感動しっぱなしでした。著者の坂上香監督は、毎回「感情のズンバ(激しいダンス)」と呼びたくなるくらい、目まぐるしく動く揺れる感情を味わった、と、書いています。

2024年9月 暑い夏がまだ続いています。今回私が見た上映会はこちらです。

http://raipinews.seesaa.net/article/504480834.html

彼岸花がようやく咲き出しました。きっちりお彼岸に咲く花、日照時間で咲く花、だと(どこかで聞いて)思っていましたが、今年は地中の温度が高すぎて、開花が遅れているそうです。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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