本日のN H Kスペシャル「シリーズパンデミック(11)検証〝医療先進国〟(前編)なぜ保健所は追い込まれたか」を興味深く観ました。
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/8RY796M11M/
昭和12年保健所が日本各地に設立されました。結核の感染を防ぐことが目的でした。その後、感染症の専門知識を蓄積する保健所は、O157やノロウィルスなど様々な感染症が日本に広がることを防ぐ防衛線となってきました。今もその役割は続いています。
ところが、その重要な防衛線が深刻な人手不足、業務破綻に陥っています。「多くの批判が保健所に寄せられていますがその批判は保健所に寄せられることが正しいのか?」3月まで9時のニュースのキャスターをしていた大越健介キャスターが問いかけます。
5月静岡県磐田市にある県西部保健所で取材を始めてからの経過が放送されました。https://www.pref.shizuoka.jp/kousei/ko-770/
医師である木村所長のもと、保健師4人、看護師などおよそ10人のスタッフ。このころ静岡県では新型コロナウィルス感染は全国でも少なく、保健所ではクラスターの封じ込めに力を注いでいました。感染者の出た施設への直接の調査や、電話での聞き取り調査です。
この電話での聞き取り調査による感染調査により患者が半減するという報告もあります。保健師たちは、感染者が発症から二週間前までに誰と会いどこへ行ったか徹底的に地道に聞き取ります。初めて話す人から相手の体調や気分に注意を払いながら電話だけでどれだけのプライベートな情報を聞き取ることができるか、保健師の腕が試されます。二週間前まで少しずつ遡りながら相手に行動を思い出してもらう地道な作業、20分聞き取っていったその時に、男性は3日前に居酒屋に行ったことを思い出しました。男性の濃厚接触者は20人。その20人にPCR検査を受けてもらい、新たに感染者がわかった場合にはまた同じ聞き取り調査を行う。生活の全てをさらけ出すことへの抵抗は大きいです。聞き取りかたひとつで隠す人も多くいるでしょう。簡単にできることではありません。
欧米には日本ほど地域に密着した保健所のような施設はありません。パンデミックが起きた場合、ロックダウンという手法を取らざるを得ないのはそのためです。日本では保健所の防衛線としての働きを通じて、極力社会活動を止めない戦略を取ることが可能だったのです。
静岡県西部保健所では、一日150人への聞き取り調査を行なっていました。夜8時、電話調査が終わっても、通常業務の仕事が残っています。コロナ以外の感染症の検査や予防活動、そして不安を抱える精神疾患を持った人々への対応、という平時の業務を止めることなく、限られた要因で休む間も無くコロナ感染症に対応する状況がもう1年以上続いています。
大型連休を迎えた静岡。心配な状況が起きていました。県外の旅行者が静岡に多く訪れ、連休明けの5月7日、新規感染者が増え始め、感染の拡大が加速化してきました。調査が難しくなるだけでなく、重症者が増えその対応に追われる西部保健所。患者を病院に受け入れてもらうための入院調整の仕事が増えました。このままでは肝心のクラスター封じ込めの業務に手が回らなくなる・・・保健師4人では全く対応できません。
非常事態には県庁で働く保健師を回してもらう決まりになっていますが、県に10人の保健師の応援を要請する木村所長に対して、2人の応援という連絡。それでは全く足りません。その夜8時、西部保健所の管轄の感染者が40人になり過去最多となりました。1000人以上の人に電話相談を行わらなければならない計算になります。
木村所長は「40件を超えた、ということは限界を超えた。従って症状の重い患者の入院要請を優先し、疫学調査を大幅に絞る。」という決定を伝えました。保健師たちからは無念の思いがこぼれます。「今のこの時期を乗り越えるためには他の方法はないけれど、感染予防封じ込めの仕事=疫学調査ができないことは悔しい。」
翌日5月12日、県は専門家会議を行い、社会活動の制限=時短要請の措置を行うこととしました。
浜松医科大学尾島俊之さんは、「1990年代半ばから保健所は半数近くに数が減り、30万人のエリアに1件しか保健所がないという状況もある。今回は、全国の保健所で少ない人数で頑張りながらの対応だった。」という調査結果を出しました。しかしいまでも保健所の縮小は続いています。静岡県西部保健所の分庁舎は、かつては20人いた職員が4人に減り、5万6000人に対応しています。パンデミックという有事に保健所の果たさなければならない仕事量は大きい。しかしこの国では保健所の戦力を細らせ、有事の今人数を増やすこともままならない。
同じような状況が「地方衛生研究所」という専門機関にもありました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%9B%E7%94%9F%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
静岡(全国)の地方衛生研究所では現在休みも返上で新型コロナのPCR検査に追われています。静岡県全域で応援を含めた11人で検査に対応しています。「研修もせず、機械と人を増やせば簡単にできるものではない。その人が使えるようになるまで教育や研修が必要なのです。」当たり前のことですよね。PCR検査は急増し、各都道府県の衛生研究所では対応できなくなり、国はPCR検査を各病院に依頼しましたがうまく回りませんでした。
「国の備えが不十分だった」と、東海大学の宮地勇人さんはおっしゃいます。日本では、海外では行われていた「検査機関の対応能力を前もってモニタリングするシステム・基盤」がなかったために、大量のPCR検査が必要となった場合の検査への対応が遅れた、ということです。
今回、保健所・PCR検査、の両方で、いざという時に足りない戦力を増強する準備ができてませんでした。準備を行うチャンスがあったのにもかかわらず、です。2009年新型インフルエンザ大流行。新たな菌が日本は感染者数が比較的少なかったものの、2010年の感染症専門家会議(尾身会長の顔がみられました、当然ですが若い!)で「現在の備えの脆弱さに鑑み、保健所やPCR検査の体制を強化すべきだ」ということを、政府に提言していました、が、抜本的な改善策が取られることはありませんでした。なぜできなかったのか。
去年8月までコロナ対策の指揮を取っていた鈴木前医務技官は、「医療費の問題、東北大震災など直前にある危機に目が目がいってしまい、後に起こる有事の際の対応にまで目が及ばなかった。平時から有事モードに切り替えることができなかった。」と。大越キャスターは田村厚生労働大臣にインタビューを行いました。「保健所の大変さを皆が理解した。同じことを繰り返さないように一つ経験したことを積み重ねなければならないと感じている。」という返事。
実際にはどのような備えをすれば有事に対応できるのでしょうか?
人工心肺装置ECMOという普段は滅多に使われることのない特殊な医療機器を使う医師の数は大変少なく、実際に2009年の新型インフルエンザ流行の際には欧米の約半分の生存率だったのです。危機感を持った医師たちは勉強会を開いてきました。そして今回は欧米を超える高い生存率を出すことができたのです。ともに技量を高めてきた医師たちのチームが人材育成を続けてきた結果なのです。人の繋がりの大切さを改めて感じました。
画面にうつるのは神戸市役所。https://www.city.kobe.lg.jp/index.html
4月以降神戸市の新規感染者は連日200人を超え、病床の9割が埋まって新規の患者への割り当て=入院調整の仕事におよそ10人の保健師たちは忙殺されていました。自宅待機の患者は増える一方。特に心配な患者は保健師が見回ります。「何もしてくれない」という声を浴びながら、保健師たちは夜遅くまで走り回ります。危険な状態の患者の入院要請に可能だと当てにしていた病院からバツという返事。急遽保健師が酸素吸入器を自宅に届けることになりました。
このままでは保健所の業務が破綻しかねない。そこで、保健師以外の力を最大限に生かす作戦を立てました。消防局指令課の職員が保健所の入院調整班に参加することで、情報共有の手間を一気に減らしたのです。地域の医師会とも連携して、自宅療養の患者を(保健師ではなく)医師が見回る体制を作りました。
保健師の業務逼迫をどう切り抜けるか。神戸市の看護大学が突破口になりました。保健所と緊密に交流してきた看護大学はの教員には保健師の資格を持つ人もおり、20人の応援が可能となりました。大学が休みの土日に保健師の仕事を担っている岩本教授。「週一回休みが取れたらいい、夜も何時に帰ることができるかわからない状況、そこに自分が行くことで、少しでも助けになれば。」
神戸では26年前の阪神淡路大震災での体験が生きているのです。組織や地域の壁にとらわれないことの大切さを痛感、柔軟に対応することはかなり難しいこと、しかし、そういう柔軟さのマインドが神戸にはあった、ということです。
人材をフレキシブルに集めることのできる体制が重要。国は、IHEAT(アイヒート)システムを作りました。地域で、即戦力を得る調整を手助けし、また、研修などを行い、人材を確保するのです。
公衆衛生の専門家・新型コロナ対策分科会委員の岡部信彦さんは「今回痛い目にあったところを将来に残してはいけない。人数の確保だけでなく、スキルを常にトレーニングしていかなければならない。今回の反省点を忘れないで次に供えることを、政治行政に関わる人だけでなく一般の人も必要だと思っていただかないと、結局は動きが取れないので理解していただきたい。」経費節減、人件費節約、ばかりを唱えていてはダメなのですね。
6月に入り感染者は減ってきました。保健師たちは再びクラスターの封じ込めに取り組み始めています。「命のインフラの一つ保健所を破綻させないために、体制の脆さを克服するべき時が今来ており、具体策は見えている、今しかそのチャンスはない。」と大越キャスターの最後の言葉が強く響きました。
次回、6月27日日曜午後9時の後編は、「世界一・150万床の病床を持つ日本でなぜ逼迫が起きているのか」に迫るということです。必見ですね。
2021年6月20日(日)大阪などの緊急事態宣言が明日から解除されます。