自分と向き合う技術

本三冊 兄の終い・御社のチャラ男・きみはだれかのどうでもいい人

図書館で本を予約するとき、書評やら友人の推薦やら、何かで心に引っかかって予約するわけなんですが、話題の本だったりすると予約待ちが長くて、そのうちになんで予約したのか忘れてしまう・・・

というような中、図書館から3冊の本を受け取ることができました。

「村井理子・兄の終い」http://books.cccmh.co.jp/list/detail/2423/

「絲山秋子・御社のチャラ男」https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000326989

「伊藤朱理・きみはだれかのどうでもいい人」https://www.shogakukan.co.jp/books/09386551

どの本も読み始めたら一気に最後まで読んでしまう・・・途中で読むのを止めることができない本でした。どの本も、冷徹に、人間やその集合体の酷い面と脆い面を描きつつ、描き方が一面的ではなく多面的で、ペーソスが漂い、絶望では終わらないものでした。

全く偶然に、同じような(と言ってもそれぞれ違うといえば全然違うのですが)3冊を続けて読むことになったのですが、これは単なる偶然ではないのでしょう。

親と子、きょうだい、ともだち、恋人、近所の人、会社の人、仕事で出会う人、、、人と関わったら、そこに軋轢が生じ不協和音が流れる。でも関わらなかったら、果てない暗渠が口を開ける。男同士、女同士のしんどさ、異性間にそびえる分かり合えなさ、同世代異世代それそれに漂う違和感。

それは今も昔も変わらずあるものですが、この3冊に描かれるそれはまさしく「いま」の時代のものであり、リアリティのある出来事として、私の心を鷲掴みにしました。

「実は、お兄さまのご遺体が本日午後多賀城市内にて発見されました。」

「幸せになるために生きて来たのになぜか間違いばかり選んでしまった。」

「大切なのはわたしじゃなくていい母親やってる自分でしょ。」

それぞれの本の中の忘れがたいワンフレーズです。

2021・2・17(水) 今日は、京都細見美術館に「日本の色〜吉岡幸雄の仕事と蒐集」を見に行きました。美しい色を天然の素材から伝統の色彩を求め続けた吉岡氏の作り出した「色」の素晴らしさを堪能し、源氏物語の登場人物の衣裳の再現に溜息をつき、その蒐集された生地の意匠に参りました。https://www.emuseum.or.jp/exhibition/ex071/index.html

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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