友達に勧められて手にした本、河出書房社「大阪 岸政彦・柴崎友香」です。
1967年名古屋生まれ、1987年に関西大学進学のために大阪にやって来て、そのまま「居着いた」岸政彦さんは社会学者。
1973年大阪生まれ、2000年に作家デビュー、2005年に大阪を出て東京に「出張」し続けている柴崎友香さんは作家。
二人は「鉄男」という映画を扇町ミュージアムスクエアで見ています。二人は「出くわしていたかもしれない」。この二人が2019年夏から2020年秋まで、雑誌「文藝」に、「大阪という空間、大阪という時間」の中での「自分の人生」を書いた文章が本になりました。
小川雅章さんのカバー装画が、お二人の文章共々、しみじみと味わい深く、装画に登場するワンちゃんの犬生は?と思いを巡らしてしまいました。
https://masaakiogawascrap-book.blogspot.com/
友人夫妻はこの本を読んで、大正区、淀川河川敷、大和川近辺などを散歩したそうです。そういう散歩の仕方もいいですね。
岸さんが宇宙でいちばん好きな場所としてあげている「淀川河川敷」=初めての一人暮らしになったさみしさと開放感に乗り物酔いしながら散歩していた場所。それは19歳の岸さんが手にしていた「時間的な自由の空間的な表現だった」といいます。今でも「よく行き、行くと必ず、気が晴れる」そうです。上新庄の町で「ジャズ」を通して人生の師と出会った彼は大学で新しく「ジャズ研究会」を立ち上げ、大学を出て、大学院の試験に2年続けて落ち・・・その中で忘れられない光景として、たくましい白い雑種の犬が何頭もの自分の家族を引き連れて走っていった風景をあげています。その風景を見たのは一度だけだと。・・・誇り高い野犬の家族たちはおそらく長くは生きなかっただろう。野犬というのは過酷な運命だろうが、自由な野犬のいない社会は一方で繋がれてうなだれる犬しかいない社会でもある・・・と。
彼が淀川と出会った15年後、2003年に私は淀川河川敷にほど近い職場に赴任しました。冬の行事の一つマラソン大会の下見に出かけた時、私は自由に走る野犬の家族に出会いびっくりしました。あの野犬たちに噛まれないだろうか、と心配する私に先輩は、「大丈夫あいつら賢いから」と言いました。もちろん河川敷で行事をするときには近くの警察にも届けます。「そういう人たちが守ってもくれるし、なんかよくわからないけれど野犬と仲の良い人もいて、そういう人たちも守ってくれるから大丈夫」。
半信半疑だった私ですが、実際のマラソン大会の時、犬は一匹も現れませんでした。白い息を吐きながら走ったり歩いたりしている若者たちの姿を見ながら、あの犬たちは今頃どこを走っているのだろう、と思ったことを鮮烈に覚えています。
今ならば考えられないことだと思います。岸さんも書いておられるように、大阪も随分近代化されて、野良犬が暮らしにくい街になりました。犬たちが自由であることは危険と隣り合わせであり、人が安全であるために犬は繋がれる必要がある・・・同様に「誰かが自由にしている傍で、誰かが辛い思いをしてその自由を支えているのであろう」つまり「社会全体が自由である、ということはおそらくほとんどないのではないか」。
柴崎さんは、お父さんのことを、「真面目にやっていれば報われるはずだ」と信じ、「我慢して個人お権利なんてわがままを言わなければ、慎ましい、望んだ人生が送れる」と信じていた・・・と書いておられます。「それはときどき容易に、人生に躓く人間や例えば事故や犯罪の被害者を、真面目な自分とは違って何か非があったはずだと考えることに傾いた」と。「被害や不平等を訴える人を大げさだと言ったりするのを、わたしは許容できなかった」と。
そのような感覚は、柴崎さんのお父さんに限ったことではなく、多くの人にあることで、自分自身の中にも生じるし、うっかりすると囚われる感覚だ、と感じました。この文章の著者である岸さんも柴崎さんも、そういう感覚について正面から考え、それぞれのやり方で表現しているのでしょう。これからこのお二人の本を少しずつでも読んでいこうと思いました。
柴崎さんのあとがきに書かれていた、妹尾豊孝(せのおゆたか)さんの写真集「大阪環状線 海まわり」は手に入りにくいようですが図書館で探そうと思います。
生まれたのは東京ですが、1歳で大阪に越してきて以来、大阪にしか住んだことのない私にとって、懐かしい、しかし、一方で知らない、大阪の風景や人々の生き様を彷彿とさせてくれた本でした。勿論、大阪の方以外にもおススメです。どの街とも同じく。ガイドブックにあるのが、大阪の街ではありませんから。
2022年11月23日勤労感謝の日。雨。