自分と向き合う技術

鴨居玲展〜こまつ座 吾輩は漱石である〜漱石山房記念館

東京に行く用事があり、ついでにと言ってはなんですが(大阪でも公演してくれるのですが)、こまつ座の「吾輩は漱石である」を観劇しようと思いました。時間があったのでその前に、新宿駅すぐの中村屋サロンに寄って「鴨居玲展〜人間とは何か?」を観ました。これがとても良かった。

https://www.artagenda.jp/exhibition/detail/7787

一番魅かれたのは1976年作の「教会」です。青く塗られた画面に教会が斜めに浮かんでいます。彼は、1971年からスペインのラ・マンチャ地方のパルデペーニャスにアトリエを構えてこれまでに描かなかった固有名詞のある人をスケッチし、教会を描きました。教会は写実的なものからだんだん宙を飛ぶようになったそうです。「信仰」が当たり前である村の人々と自分自身の「信仰」のなさとの違いを考えた、との鴨居の言葉がありました。自身の創作の方向を探す=信仰を探す=自身の内面を見つめる、ことに注心していた心象が現れた美しい絵だと思いました。

また、1973年作の「私の話を聞いてくれ」にも強く魅かれました。誰にも心のうちを見せようとしない人でも、心のうちを知ってほしいという気持ちはあるのだと思います。しかし、心のうちを語ろうと思ったら、苦しくて苦しくて仕方がない・・・そんな、人間の有り様が一人の男の姿に象徴的に描かれていると感じました。

いずれも笠間日動美術館所蔵でこのHPから観ることができます。

https://bijutsutecho.com/exhibitions/7886

中村屋サロンの下にあるお店Bonnaで美味しいピロシキやエッグタルト、マロンシューを食べて腹ごなしをしてから、こまつ座に向かいました。「吾輩は漱石である」。

漱石が1910年8月、胃潰瘍の療養のために訪れていた修善寺で大吐血を起こし、危篤状態に陥っていた(修善寺の大患)30分間の意識不明の間に見ただろう夢を描いた劇です。脚本は井上ひさし。演出の鵜山仁は「奇妙な夢のように散りばめられた漱石作品の断片を足がかりに、この世界の矛盾と混乱を生き抜くための、息づかいや表情を望み見る、それが恐らく、この風変わりな戯曲を上演する意味だろうと考えています。さて、われわれの創造が一体どんな風景に辿り着くか、稽古場の冒険が始まります」とコメントしています。さて、どのような風景がみられるのか・・・。

https://natalie.mu/stage/news/497007

劇としては、単調で、また脈絡がなくて、少し見辛い=眠くなるところがありました。役者さんたちはそれぞれ達者で、笑いをちりばめながら、「淋しい」人たち=漱石=小説の登場人物たちを演じ分けておられました。賀来千香子さんの相変わらずの美しさにはうっとり(JJのモデルさんの頃からのお付き合い😘)、栗田桃子さんの愛らしさと図太さ、鈴木壮馬さんは漱石そっくり、などなど、「どうしようもない淋しさ」を抱えながら、気のあう仲間たちの顔を眺めながら居ることの幸せ、をほっこりと描いていました。

劇を観終わって、さて、、、ちょうど中村屋サロンで新宿区立漱石山房記念館のポスターを見たので、これ幸い、出かけることにしました。

特別展「夏目漱石と芥川龍之介」開催中でした。素敵なカフェもあり、漱石を巡る充実した展示、蔵書、などに、劇を思い起こしながら、漱石の足跡を辿りました。黒猫が案内してくれました。

https://soseki-museum.jp/

生きることは、難しく、大変で、苦しくて、でも素敵なことだ、と鴨居令、夏目漱石、を通じて改めて感じた1日でした。とても良い1日を過ごすことができました。

2022年11月24日(木) 日本代表がドイツを破る大金星!!!眠い中(ちょっとうとうとしながら)みた甲斐がありました。サウジアラビアの金星に勇気をもらったという選手がいました。🇸🇦ありがとう。色々な出来事が影響しあっているのですね!!!次も頑張れ!!!!!

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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