自分と向き合う技術

神戸学校〜能楽師十世片山九郎右衛門さん〜初心忘るべからず〜

神戸にあるダイレクトマーケティングの会社「フェリシモ」が阪神淡路大震災後に始めた神戸学校。http://www.kobegakkou-blog.com/blog/about.html

1月に移転した新社屋Stage Felissimo の1階ホールで行われた、能楽師観世流シテ方・十世片山九郎右衛門さんの講演「初心忘るべからず〜能に伝わる《続ける》知恵〜」を楽しく拝聴しました。

「初心忘るべからず」は能楽を完成させた世阿弥(1363〜1443)が50歳半ばに書いた伝書「花鏡(かきょう)」の中の言葉です。世阿弥のいう「初心」とは一度のことだけでなく、「是非の初心忘るべからず。時事の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」(若い時、人生のそれぞれの時、老後の時、の初心を忘れてはいけない=姿も美しく声も安定した24〜5歳の花のある時、そして老後に至るまでの人生の中での節々に到達した、と感じる時、実はそれは完成ではなく、そこに満足しないで、さらに自分を磨いていかなければならない。)という意味です。

昨年からの、人類共通の困難に立ち向かう中で、九郎右衛門さんたち能のお仲間たちが、立ち返った「初心」は「自分が演じたい」「自分を見せたい」というお気持ちだったそうです。「〇〇のために」ではなく、自分自身の内奥からほとばしる「演じる様子を見せたい」という欲こそがエネルギーの元であるということに感銘を受けました。

今、私たちの生活は様々な制約に縛られていますが、その中で、「自分が何をしたいのか」について改めてじっくり考えること、それが「初心にかえる」ということではないかと、感じました。

また、「媽祖(まそ)」という、中国の湾岸部を中心に、船の神様として拝まれている道教の女神(日本でも長崎の平戸などで祀られているそうです)を新しい能に取り入れていくプロジェクトを進めているというお話がありました。新作に果敢に挑戦していかれるとのこと、大変楽しみです。

私自身の体験として、2007年東寺での「一石仙人」を観た時の感動は忘れられません。免疫学者で文筆家、能作家の多田富雄さんの作品。「時を超えて現世と異界を行き来する能」で、多田富雄の世界観を表そうとしていたものでした。「一石仙人(アインシュタイン)」は、宇宙を語り、原子の力を示した後、「これを争いに使うな」と語った後、ブラックホール(東寺の講堂)に消えていく・・・。車椅子の多田先生が奥様と一緒に居られ、観に集まった人々に会釈をされていた凛としたお姿も大変印象に残っています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84

古典として普遍的に語られる物語も大切で、それを残すことにも大変意味があります。国語の教科書から日本の昔話・神話・詩歌・謡曲などを題材とするものが消えつつあり、生活からも日本的なものが急速に消えていく中で、日本の古典芸能の存在意義は大きいと思います。しかし一方で、新しい世界観や新しい問題に挑戦していくことは、古典芸能だからこそ必要だとも思います。

十世片岡久右衛門さんの新作舞台を楽しみに待っています。

2021.1.23 (土)

追記:図夢歌舞伎第二弾「弥次喜多」に注目!キリスト教の「予定説」を下敷きに書かれた前川知大の「狭き門より入れ」を原作に、猿之助が、脚本・監督・演出で素晴らしい作品に仕上がっているそうです。アマゾンプライムか〜〜〜アマゾンプライムには抵抗があるんだなあ〜〜〜。でも観たいなあ〜〜。

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねて今に至ります。心理し(士・師〜〜この二つの「し」の違いは何だろう?)です(臨床心理士・公認心理師)。喜びも多かった教員経験の中、一方で、えも言えぬ息苦しさも感じ、心理しの資格をとって、今は相談活動を行なっています。

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