日本を学ぶ

民俗学博物館 水俣と仮面

6月最初の日曜日、万博公園内の民俗学博物館に行きました。今の季節は、薔薇園が美しいですが、今日は水俣展と日本の仮面展。

https://www.expo70-park.jp/event/62515/

1954(昭和29)年、熊本日日新聞は、水俣市茂道部落で、猫がてんかんのような症状で全滅、ネズミの急増にてんてこ舞いしたことを報じました。その前の年12月ごろから、当時5歳11ヶ月だった女の子が様々な症状を呈し、1956年3月に亡くなりました。

1956(昭和31)年に患者の発生が保健所に報告されました。訳もなく転ぶ、まっすぐ歩けない、手足が震える、言葉が明瞭に発せない、視野が狭まる、聴力が下がる、触覚が鈍るなどなどの症状により、日常生活に大きな支障が出て、死に至るほどの疾患です。

当初は漁業に携わる人々の患者が多く、偏見と差別にさらされました。

新日本窒素肥料(現・チッソ)という会社からの税収が、半分以上を占め、また多くの住民がこの会社関連の仕事に就いていたためもあり、原因の解明や患者の救済は遅れました。

熊本水俣だけでなく、新潟でも同様の被害が起きました(第二水俣病)。1968年になって、政府はやっと発病と、熊本のチッソ水俣工場、および、新潟の昭和電工加瀬工場、からの工場排水の因果関係を認めました。

石牟礼道子さん著『苦海浄土わが水俣病』(1969年)や、原田正純さん著『水俣病』(岩波新書1972年)で多くの人々がその苦しみの歴史を知ることとなりました。

今回、国立民族学博物館で取り上げたのは、現在の水俣の姿です。熊本県の水俣・芦北地域で行われている、水俣病の教訓を学び後世に伝えていく活動を紹介します。展示の解説はプロジェクトリーダーの平井さんの言葉で語られていきます。

ここに書かれているように、水俣は公害の経験を生かし、地域の生活文化や自然を踏まえた街づくりを行ってきました。1990年代に水俣市の職員であった吉本哲郎さんが考案した、地域づくりの手法「地元学」が土台となっていたのです。「ないものねだりをやめて、あるもの探しをしよう」をコンセプトに地域を作っていく「地元学」とは、どこに住んでいる人にも有効な視点ですね。

次に、水俣病被害者の支援活動を行う相思社が、1988年に設立した「水俣病歴史考証館」の活動が紹介されます。 歯切れよく、差別の構造・人命軽視・企業の利益優先・行政の責任逃れ、のために対応が遅れ、被害が拡大したことを指摘します。

https://www.soshisha.org/jp/

写真家芥川仁さんは1970年後半、水俣病が過去のものとされるような時代に水俣に通い始め、人々の日々の生活を撮影しました。「僕は水俣で人間にしてもらったんです」と語る芥川さんの写真は、人間の暮らしの愛おしさとそれを破壊することの恐ろしさが伝わってきます。

2020年94歳亡くなった大矢ミツ子さんは、水俣病と闘いながら88歳まで畑仕事を続けました。娘の吉永理巳子さんにより、最も被害の激しかった「明神が鼻」での暮らしが語られ、再現されています。

最後のコーナーでは、熊本県の「水俣病の理解促進」の活動が展示されていました。同じ熊本県内でも、中学校のバスケットの試合で「水俣触るな」という言葉が出るという、いまだに続く偏見とどのように向かい合うのか。地道な取り組みが伝えられます。

平井さんは「水俣を伝える人たちの存在と魅力を伝えたかった」と語っておられます。

水俣で起きた悲劇は遠い過去のものではない、同じような構造で同じような出来事が、あちらこちらで起きている、そのようなことが起きないように、まずは水俣のことを知ることが大事だと感じました。

個人的には、公職追放された祖父が戦後水俣で塩田をはじめ、結局塩が専売公社の取り扱いとなったため水俣を去ることになった、という歴史があります。広島の原爆で祖母は亡くなり、南方から帰還した祖父と母の二人で、水俣で暮らした5年間は、母の思春期(小6から高1)と重なり、多くの友人や思い出が水俣にあります。悲しい思いを海にぶつけた母の思い出、それを受け止めたそこの漁師さんとの出会い、などの話は、私がすっかり大人になり孫を持ってから母にから聞いたことです。その美しい海が、あのように無惨な姿に変わったことは、戦争で傷ついた母の心をさらにえぐる出来事だったろうに、母は何も言いませんでした。

高校に入ってから、私は、祖父と同居していましたが、祖父から水俣の思い出を聞くことはありませんでした。

時間が経たないと語ることのできないこともある、時間が経ったからこそ語らなければならないこともある、と強く思います。

この日は、とても良い天気だったのですが、急にスコールのような強い雨が降ってきました。ちょうど民博向かいのピザ屋さんでお昼を食べていたので雨には合わずにすみましたが、さまざまな人の強い思いがその雨に象徴されているような気持ちになりました。

それから同時に開催されていた、日本の仮面展にいきました。

日本の仮面の歴史をたどり、さまざまな地域に残る仮面と祭りを楽しむことができました。入場券も可愛らしく、栞に使おうと思います。

2024年6月2日 友人が万博公園薔薇園の写真を送ってくれました。

水俣に関係して、間中ムーチョ展「海になる」が6月15日(土)から海月文庫で開かれています。水俣の紙芝居「しらぬいさん」の原画や、水俣の風景画、小さな生き物の絵、などが展示されているそうです。私は月曜日に行く予定です。https://www.kuragebunko.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/2024%E5%B9%B4/

https://www.instagram.com/muchomanaka/

海月文庫では6月1日から7日、上月ひとみ展 水俣の紙芝居「みつこの詩」原画展も開かれていました。上月さんの絵は民族学博物館での展示場でも展示されていました。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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