話題のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』を観ました。多くの映画館で上映延長となっているそうです。
「この映画は、『誰が悪かった』とか『誰のせいだ』とかを明らかにしようとするものではない」という趣旨のクレジットがはじめに提示されます。その言葉がこの映画の誠実さを表すものだと感じました。
聡明で優しい8歳年上の姉が、医学部へ進学後、別の世界へと入っていき、意思疎通が難しくなっていく。しかし、そのことを、医師で研究者である父も母も、認めようとしない。
弟であるこの映画の監督藤野知明さんは、悩み苦しみます。自身が進学した大学のカウンセラーに相談し、姉を専門家に繋げようとしますが、カウンセラーの予想通り、父母はそれを拒絶します。「家族のことでなく自分にことを大切に」というカウンセラーの助言もあり、彼は7年かけた大学生活を終えると、家から逃げるように関東の会社に入社します。
彼が一旦家から離れることができたのは、本当に良かったと思いました。家にがんじがらめに縛られてしまわず、逃げることができて本当に良かった。
その後、彼は映像の専門学校に入り、カメラを回し始めます。姉の発症から18年後のことでした。それから20年間、家族へ向けて回しつづけたカメラの映像は、愛と悲しみを込めた藤野智明さんの視線そのものです。
写真を含めて、父母の祖父母の代からの物語が語られていきます。さまざまな苦労を経て、研究者の道を歩んでいく父母。海外での暮らし、北海道での暮らし。大正15年生まれの父は台所仕事を厭うことなく行い、研究者としての母を尊重する(おそらく)、進んだ関係でもあります(私の父も大正15年生まれ、台所に立つことは全くありませんでした)。
しかし姉の状態に対しては、両親共に、頑なに「病い」を認めることなく、姉の表情は年を経るごとに固くなり、突拍子もない行動も増えていきます。とうとう、父母は何重にも鍵をかけて彼女が家から出ることができないようにします。藤野監督は何度も母と話し合います。しかし、母は「父を苦しめることになる、父が生きていけなくなる」と、姉が専門家と会うことを絶対に認めようとしません。
姉が家を出なくなり、母も家を出なくなります。そんな母に、認知症の症状が出、ひどくなっていき、父(いや、藤野監督)が支えた生活が立ち行かなくなり、初めて、姉が精神科を受診・入院するのです。薬が合った姉は3ヶ月で退院します。彼女の表情は柔らかなものに変化していました。そして朝ご飯は姉の担当となります。
母が亡くなり、姉は肺がんと診断されます。姉の表情は豊かになり、父との穏やかな日常が流れていきます。姉の棺の中に、父は、「姉と共著」の論文を入れます。病に陥った娘に何年間も医師の国家試験受験を強要した父でした。彼は最後まで、自分が間違っていたとは考えていません。「母がそうしたかったから」という父の言葉・・・。
はじめのクレジットの通り、誰が悪いとか誰の責任だとか、いうことはできないと思います。この時代の中で、この家族の中で、藤野智明さんが、苦しみながらも現実と向き合い、愛を持って家族と向き合ったという「共感力の奇跡」が、この作品を生み出した、と感じました。
細部は違っても、大まかには違わない同じような家族が、たくさんこの世に存在することは確かで、「逃げるしかない」あるいは「破壊するしかない」苦しみの中にいる人もたくさんいます。そんな時「相談すること」の大切さをこの作品は伝えてくれます。
藤野知明監督の苦しみは筆舌に尽くし難いものがあり、「相談すること」だけが彼をここま連れてきたのではない、と思います。が、玄関に鍵をかけることでは問題は解決しない、と、この作品は伝えてくれます。この作品を、多くの人がみてほしいと感じました。
2025年2月8日(土)今季1番の冷え込みとなりました。

七藝の後のお楽しみは、定番やまもとのネギ焼きと喜八洲のみたらし団子です。

