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東京會舘・本『東京會舘とわたし』

この春、母の米寿祝いを兼ねて、久々に東京の親戚と会う旅を敢行。東京會舘で食事をし、パレスホテルでお茶をしました。

姪っ子の思い出の場所ということで、TOUKYOU KAIKAN會でのランチ。https://www.kaikan.co.jp/restaurant/kai/menu/lunch.html

シェフの人柄に魅かれて、大事なイベントはここで、と決めているという姪っ子夫妻です。素敵なランチタイムを過ごすことができました。

東京會舘は1922年11月に開館しました。100年間様々な出来事を経験し、現在三代目の建物となっています。https://www.kaikan.co.jp/special/100th/history.html

その100年の歴史の象徴になっているシャンデリア。下から見ても素晴らしいのですが近くで見たい、と、階まで上がりましたが、ちょうどおめでたい結婚式の最中で近づくことはできませんでした。

この時はよくわかっておらず、ロビーに行かなかったのが、かえすがえすも残念。大好きな猪熊弦一郎さんのモザイク壁画と金環シャンデリアが、二代目建物から継承されているのです。

その後、今年やはり米寿を迎える叔母家族と、パレスホテルでケーキセットをいただきました。贅沢な1日でした。母と叔母は、4年ぶりの再会、本当に嬉しかったです。

帰阪後、姪っ子のオススメの本、辻村深月『東京會舘とわたし』(文春文庫)を読みました。東京會舘の100年の歴史に様々な人間模様を重ねて、読み応えのある一冊となっています。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167913427

プロローグから始まって、第一章大正12・1923年5月4日から新章(第十二章に当たる)平成31・2019年1月8日まで、いえ、解説・出久根達郎・2019年9月、まで、物語は、様々な登場人物が重なり合い畝り合って紡がれていきます。

2012年直木賞を受賞した辻村さん自身が、作中では2012年7月に直木賞を受賞し東京會舘を舞台に小説を書こうとしている小椋真護さんに投影されているのでしょうか。

東京會館(当時は舘ではなく館を用いていました)創業後間もない5月に帝劇行われたクライスラーの演奏会。その直後クライスラーは東京會館で内輪の演奏会を開いていました。しかし、クライスラーは在日中に遭った地震に驚き二度と日本を訪れることはありませんでした。その4ヶ月後の9月1日、関東大震災で帝劇は燃え、壮麗な東京會館も内部が崩れ落ち、3年7ヶ月の長きに渡り休業を余儀なくされました。

東京會館開館時「外観や設備が壮麗であるところから、上流貴族のための設備と誤解する人がいるかもしれない。しかし、會館の本意はあくまで社交の民衆化にある。社会が平和と協調を保つためには、健全な社交場が必要である。そのためには、誰でも自由に利用できるように留意した・・・」と藤山雷太氏の挨拶を胸に響かせて聞いていた給仕の佐山さん。彼は、17年後、東京會館が大政翼賛会の庁舎として使われることになり、東京會館を去ることになりました。豪華なシャンデリアにぶら下げられた無骨な時計の下で万歳をしている翼賛会の人々の写真が載った新聞を佐山さんは自宅で読みました。

「誰でも自由に」という精神は東京會館の従業員の人々のお客様への接客態度の隔てなさにあらわれているといいます。その接客態度の、訪れた人を大事にする臨機応変さ、については全章を通じて繰り返し丁寧に描かれています。

佐山さんと同じ新聞を静子さんは父からみせられて読んでいました。一年後、米英に宣戦布告した後、翼賛会が去り「大東亜會舘」となった東京會館で、静子さんは、どんな人かほとんど知らない水川健治さんと結婚式を挙げます。静子さんは、この時勢に自分で縫ったウェディングドレスを着る、強い、一方それにドキドキしている、素敵な女性です。灯火管制下、披露宴は行われ、偵察機の警報を聞いて佐山さんは、咄嗟ににカーテンを閉める指示を出しました。それに気づきお礼をいう健治さんを静子さんは好ましく思うのでした。そんな佐山さんが出会った人々が、そこここに登場して物語を紡いでいきます。レストラン「プルニエ」の支配人東原さん、バーテンダーの今井さん、小説家希望から小説家になった寺井さん、美容院の遠藤さん、写真家の五十嵐さん、そして水川静子さんと健治さん。

終戦・・東京都庁からアメリカン・クラブ・オブ・トーキョーと変わっていった東京會舘を必死に守ったバーテンダーの今井さんは、東京會舘が作ったパレスホテルへと移っていきます。今井さんと共にアメリカン・クラブ・オブ・トーキョーを守った桝野さんは、勝目さん、田中さんたちと新たな東京會舘の挑戦に立ち会うのです。クッキングスクールを立ち上げ、お持ち帰りのできるお菓子を作る。「旦那さんの帰りを待つ奥さんやお子さんはまず本場のフランス料理やそれに出るお菓子を食べる機会がない・・・ご家庭に本場のフランス料理の美味しさをおすそ分けできるお菓子を。」という思いは、「誰でも自由に」という創業の姿勢とつながります。

二代目の東京會舘には『金環』と名付けられた照明があります。そこで出会った芽衣子さんと渡邉さんの会話から、私たちは東京會舘の歴史を知ることができます。素晴らしいシャンデリアは、一基は明治村に、一基は修復用に保存、残りの一基が二代目會舘に取り付けられました。杓子定規でない親密な給仕の渡邉さんにより、芽衣子さんと亡き夫との金婚の食事は素晴らしいものとなりました。そして芽衣子さんを迎えに来た家族は、美味しいお菓子をお土産にするのでした。

越路吹雪さんのディナーショーも東京會舘の名物でした、真面目が取り柄の新米営業部員の志塚さんは先輩の原田さんから、越路さんを担当するように言われ、びっくりし、越路さんとマネージャーの岩谷さんの素顔に触れます。越路さんが亡くなって後も宝塚歌劇団退団後のトップスターたちが、志塚さんを、東京會舘を、信頼し、ここでディナーショーを行ない続けています。

越路さんが亡くなって約30年、東日本大震災が起こります。「東京會舘クッキングスクール」の同窓生同士で集まっていた文佳さんは、不安な一夜を東京會舘で過ごすことになりました。彼女は、スタッフの温かい対応を受け無事朝を迎え、玄関の外に出た時、玄関の庇を支える真鍮の柱を磨いている従業員の青年に出会います。真鍮は雨や湿気の後を残しやすく磨くのが大変なんだそうです。しかし「真鍮だからこそ磨く必要がある、素材そのものが磨きなさい、という玄関係へのメッセージなのです」というドアマンではなく玄関係の青年の言葉に感動します。マニュアル通りでない人の心が宿ったサービスが、ここには生き続けているのです。

震災から三年後、東京會舘は建て替えが決まりました。そして二代目東京會舘で芥川賞直木賞の記者会見が行われるのもしばらくおやすみとなります。2012年夏、直木賞を受賞したのが小椋真護さんです(実際には辻村深月さんです)。ここにも渡邉さんが登場します。中学生だった彼、大学生になった彼、と両親との食事を給仕した渡邉さんによって、父親の気持ちを知った小椋さんでした。東京會舘建て替えの記事を読んで「ありがとう」と呟きます。

2015年1月31日、二代目東京會舘最後の結婚式は、東京會舘での結婚式四代目(一代目は物語に登場しました・・・)となる、優里さんが花嫁です。「遠藤美容室」も「五十嵐写真館」も健在です。雪の降る中、作家の小椋さんは「東京會舘を舞台に小説を執筆したい」と、社長の藤原さんから貴重な資料や証言を聞いています。宝塚歌劇団の歴代トップ六人のショーも行われています。

そして2019年東京會舘は「変わらないままに新しく」をコンセプトに建て変わりました。荘厳なシャンデリアは保存されていたものの部品をほぼ使い切って3階に戻ってきました。フレンチレストラン「プルニエ」の支配人渡邉さんは、小椋さんに「これからも東京會舘を、どうぞよろしくお願いします」と頭を下げるのでした。

2011年の吉川英治文学賞を受賞したのがこの小説の中では小椋さんとなっています(実際には西村健さん、辻村深月さんは2010年度に受賞しておられます)。震災から1ヶ月後、吉川英治文学新人賞贈呈式時、東日本大震災の揺れの中、作家の出久根達郎さんが「大丈夫です〜〜〜」とよく通る声で会場を落ち着かせていたシーンが描かれています。解説で出久根さんはとっさに自分が言った言葉を覚えておらず、小説で知り、光栄に思った、と書いておられます。

初めから終わりまで温かい気持ちにあふれた小説でした。「お金持ちのための特別な場所」と思いがちな「東京會舘」の別の顔を見せてくれました。次に東京に行く際は是非また訪れたいと思います。

2023・6・1とうとう6月に突入。ベランダの紫陽花、職場から挿し芽したものや、三年前の母の日にもらったもの。土に石灰を混ぜてアルカリ性にしたものはピンクになりました。色の対比が楽しめています。

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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