人生設計

本 ネガティブ・ケイパビリティ(答えのない事態に耐える力)〜帚木蓬生

何事もポジティブに捉えよう!そうすれば物事は思うように展開していくよ!頑張れば道は開ける!〜〜〜そうなんです。そういう思考はある意味確かに真実で、わかりやすく、私たちにあるべき姿を提示してくれます。

しかし、ポジティブになれない時がある、物事はなかなか思うようには進まない、頑張ったからといって必ずしも結果がついてこないこともある〜〜〜そんな時にどうするのか?容易に答えは出ません。そんな時に「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を知って意識するのと、知らないまま悶々とするのとでは随分心の有り様がちがう・・・とこの本を読んで思いました。https://book.asahi.com/article/11581829

作家の帚木蓬生さんは臨床40年の精神科医でもあります。多くの人々の悩みには、簡単な解決法などは見つかりません。腕の良い大工で左官も植木の剪定も得意だった男性に仕事がこなくなりイライラと不眠に悩みだす・・・パートナーの依存症、浮気、病気に悩む・・・子どもの成長とともに起こる問題に悩む・・・治らない病気に悩む・・・などなど、どの悩みに対しても、手の付けどころのない悩みが多く含まれていて、「主治医の私としては、この宙ぶらりんの状態をそのまま保持し、間に合わせの解決で帳尻を合わせず、じっと耐え続けていくしかありません。」

そんな帚木さんは、30年前に出会った論文で、詩人のキーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に強い衝撃を持って出会い、以後支えられているといいます。問題が生じれば的確かつ迅速に対処する能力の裏返しの能力=論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。

キーツは、詩人や作家にとり、「外界に対して、理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ懐疑の中にいられる能力」が重要だというのです。そしてその権化としてシェイクスピアをあげているのです。これこそが、対象の本質に深く迫る方法であり、相手が人間なら、相手を本当に思いやる共感に至る手立てだ、と論文は結論していたそうです。

1821年キーツが薄幸な短い生涯を終えた後、約150年の時を経て!(◎_◎;)、1970年精神科医ビオンによってこの言葉が発掘され引用され甦ります(『注意と解釈』)。膨大な知見と理論の蓄積がある精神分析学、その知識で患者を診、その理論にあてはめるようとする態度に反して、ビオンは「形のない、無限の、言葉ではいいあわらしようのない、非存在の存在の状態には記憶も欲望も理解も捨てて初めて行き着けるのだ」と結論づけました。

私たちの脳は「分かりたがる」もので「分かった」ことで安心します。それが逆に発見の妨げになる例として「1983年のピロリ菌の発見」があげられています。約100年前から酸性の胃の中で生息する細菌がいるという報告はあったのにも関わらず、1950年代に大御所によって唱えられた「胃酸環境内無菌説」を記憶・理解し、迅速な対応をしてきた多くの医師たちはピロリ菌を顕微鏡で見ていたのにも関わらず「発見」できなかったというのです。

シェイクスピアの作品は、物語のありうべき結論を片端から打ち消しながら、彼自身の意見や心情を描くことなく、不確実さを大きな塊として放り出し、読者や観客が読み解くだけにしている。だから、その読み解く視点も多様になり、通常の理解を超える所に連れて行かれた読者や観客は、今までの自分自身の物の考え方の浅薄さ、偏狭さに気づくのです。そのようなシェイクスピアこそ「ネガティブ・ケイパビリティ」の権化だとキーツは指摘したのでした。

帚木さんは、我が国の誇る世界最古の長編小説「源氏物語」も同様の力を持っている、と看破しておられます。「物語を光源氏という主人公によって浮遊させながら、次々と個性豊かな女性たちを登場させ、その情念と運命を書き連ねて、人間を描く力技こそ、ネガティブ・ケイパビリティでした。もっと言えば、光源氏という存在そのものがネガティヴ・ケイパビリティでした。この宙吊り状態に耐える主人公の力がなかったら、物語は単純な女漁りの話になったはずです」

(尊敬する河合隼雄先生も、シェイクスピア、紫式部に深く言及しておられました。「快読シェイクスピア」https://www.shinchosha.co.jp/book/125253/「源氏物語と日本人〜紫マンダラ」https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000193749

帚木さんのクリニックには不登校の子が多く訪れます。親たちは世の中から落ちこぼれるのではないかと恐れおののいています。しかし、当の本人は「学校はどこかおかしい」と感じており、しかも仲間ずれいじめなどの恐ろしい経験が重なると恐怖の場となってしまった場所から避難しているのです。不登校という避難所を追い立ているのは天災で避難所に逃げ込んだ人々を追い出すのと同じなのです。帚木さんは「このとき本人が発揮しているのは、まさしくネガティブ・ケイパビリティと言っていいでしょう。どうにもならない状況を耐えている姿です。となれば、親も同じようにネガティブ・ケイパビリティを持つ必要があります。わが子が折り合いをつけて進む道を見出す時が来るまで、宙ぶらりんの日々を、不思議さと神秘さに興味津々の眼を注ぎつつ、耐えていくべきです。」と書いておられます。

(難しいことですね。家族だけでそういうことができる力は湧いてこないかもしれません。そういう時に、「だれかに話す=一緒に宙ぶらりんになってもらう」ことも一つの手ですね。)

最後に、不幸な戦争の例などをあげて、帚木さんは、「平和を維持するためには、為政者は特に、国民ひとりひとりが、ネガティブ・ケイパビリティを発揮しなければならないのです」と書いておられます。(同感です。しかし本当に難しいことです。いまでも世界の彼方此方から戦いのニュースが流れてきます。)

「共感」する力を持つこと、「親切」という気持ちを大事にすること、が精神医学の、いやそれだけでなく、全ての人々にとって大事な力だという結びに強く心を揺さぶられ、この言葉、この本に出会えたことを嬉しく思いました。

2021・5・19(水)

追記)合わせてこの二冊についてのブログもお読みいただければ幸いです。

本 ネガティブ・ケイパビリティ(答えのない事態に耐える力)〜帚木蓬生小説家・精神科医の帚木蓬生さんは、悩める現代人に最も必要なことは「共感力」だと考えておられます。この共感が成熟する過程で併走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる力が「ネガティブ・ケイパビリティ 」です。容易に解決しそうにない悩みを持つ人々にお勧めの一冊です。...
清水眞砂子さん〜あいまいさを引き受けて(日常を散策するⅢ)清水眞砂子さんの言葉にはいつも心を揺さぶられます。いま、ますます見落としがちな「あいまいさを引き受ける」=「ネガティブ・ケイパビリティ 」ということを再認識する一冊です。...

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねて今に至ります。心理し(士・師〜〜この二つの「し」の違いは何だろう?)です(臨床心理士・公認心理師)。喜びも多かった教員経験の中、一方で、えも言えぬ息苦しさも感じ、心理しの資格をとって、今は相談活動を行なっています。
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