6月27日(日)の朝日新聞文化欄、ピーター・J・マクミランさんの「星の林に」で「性別に囚われない愛の形」と題して、大伴家持と大伴池主の歌が紹介されました。
我が背子は 玉にもがもな ほととぎす 声にあへ貫き 手に巻きて行かむ(大伴家持 万葉集巻17・4007)
My Darling Husband,
how I wish you were a bead
so that I could thread you
with the song of the little cuckoo
and wrap you both around my wrist.
貴方が玉だったらいいのに。それなら時鳥の声と一緒に糸に通して手に巻いていこう。
天平19(747)年4月30日(新暦では6月10日ごろ)越中(現在の富山県)国守だった大伴家持が奈良へ出張するにあたり、大伴池主に送った歌の中の一首です。池主は5月2日、家持に返歌を返歌を3首送っています。次の歌はその3首目。
うら悲し 我が背の君は なでしこが 花にもがもな 朝な朝な見む(大伴池主・4010)
慕わしい貴方が石竹(なでしこ)の花だったらいいのに。それなら我が庭に植えて毎朝見ようものに。
マクミランさんは「池主は、越中での家持の部下だが、彼らは公私にわたって大変親密だったようだ。この歌でも、出張でしばし離れ離れになるのを互いに心から嘆いている。」「二人の歌は共通の様式の上に、それぞれの個性がにじみ出る。一介の上司と部下に留まらない男同士の深い絆を表現するためにあえて採られたものだろう。実際に恋人だったかはともかく、単なる戯れではない二人の愛の深さの黙示である。」と書いておられます。
家持は6日前の秦忌寸八千嶋の館での餞別の宴で、八千嶋に次のような歌を送っています。
我が背子は 玉にもがもな 手に巻きて 見つつ行かむを 置きていかば惜し(大伴家持・3990)
貴方が玉であって欲しい。我が手に巻いて見ながら行こうものを。置いていくならば惜しいものだ。
この場合の「貴方」は八千嶋をさします。ここからもわかるように「我が背子」という言葉は単に異性の恋人を指すのではなく、性にかかわらず大切な人を指す言葉だと考える方が自然のような気がします。そして家持には大切な人がたくさんいた。
しかし万葉集には八千嶋の返歌は載せられていません。次の3991以降は、家持と池主の歌のやり取りが繰り返され、4007、4010の歌へと繋がっていきます。単にこの二首だけを取り上げた時には「違うんじゃないか」という反論も生じるところですが、3991以後の一連の歌の贈答の流れの中で、マクミランさんの「二人の愛の黙示」という言葉に信憑性が生まれます。
「万葉集に限らず、日本の古典文学では性別に囚われない愛の形がしばしば表現されてきた。それほど性に寛容だった日本であるが、近代以降は性的少数派がタブー視されるようになり・・・」とマクミランさんは続けて書いておられます。
同感です。私たちの祖先は様々な多様性に対して寛容であったことを古典から学ぶ意義は大きいと思います。日本史では『「近代化」=「進歩」』という文脈で習うことが多いのですが、「多様性の抑圧」というマイナス面にも注目したいものです。
「6月はLGTBなど性的少数者の権利を考える「プライド月間」だ。東京都は五輪の開催に先立ち、性的少数者への差別を禁止しる条例を制定したが、国レベルでの対応がないのは残念だ。家持と池主が交わした文通のように、人間が人間を愛おしく思い、愛するときの情愛はいつの世でも美しい。」
その通りだと思います。
2021・7・4(日)旧暦では5月25日。747年のこの日は家持はもう奈良の都に到着していたことでしょう。
追記) 6月末歌手の宇多田ヒカルさんがノンバイナリーであることを自らのインスタライブで公表し、話題になりました。「性自認が男性でも女性でもなく、どちらかの枠組みに自分を当てはめない」ということです。これは性的指向を示す言葉ではありません。どういう感覚なのか、ヒカルさんがまた語ってくれるときがくるでしょう。性を巡って自由な発想が広がっていくといいですね。
追記)家持と池主について過去の記事