旅ブログ

萩の花〜家持と池主と広縄〜插頭(かざし)①

8月、家持追っかけ旅、能登半島最後の日には、春日神社の萩の花が、

旅の最終日には、高志の国文学館の萩の花が見送ってくれました。

大伴家持が少納言となり、越中国を出発し都に戻る途中、正税帳使としての任務(陰暦2月に越中国を出発)を終えての帰途にある久米広縄(越中国掾)と、偶然、越前国(現在の福井県)掾の大伴池主の館で出逢い、共に宴を楽しみました。時に天平勝宝3(751)年旧暦8月(陽暦では9月)のことでした。

その時久米広縄が萩の花を見て作った歌。

君が家に 植ゑたる萩の 初花を 折りて插頭さな 旅別るどち (巻十九 4252)

きみがやに うえたるはぎの はつはなを おりてかざさな たびわかるどち

わが友の家に植えた萩の初花を手折って、さあ插頭にしよう(寿を願う行為)。旅立ち別れていくもの同士。

大伴家持が和(こた)えた歌。

立ちて居て 待てど待ちかね 出でて来し 君に此処に遇ひ 插頭しつる萩(巻十九 4253)

たちていて まてどまちかめ いでてこし きみにここにあい かざしつるはぎ

立ったり座ったりして待っていたのに待ちかねて出発してきた君と此処で会い、插頭にした萩よ。

家持は、越中国に在職中、池主、広縄、と最も親しくしていました。官吏としての上下関係だけでなく、万葉集編纂においても、池主は巻十七を、広縄は巻十八を筆録したと考えられています。「その三者の邂逅を持って家持の越中時代が終わるのは劇的ですらあり、以後三者は別々に暮らす事となる。その祈寿を祈る插頭(かざし)をいい、かつ儚い初花であることが印象的。」と中西進さんは書いておられます。(万葉集全訳註(四)講談社文庫)

久米朝臣広縄、この後の動静は不明です。

越中の厳しくも美しい自然の中で、また多くの人々との交流の中で、家持は多くの歌を歌い、そして池主、広縄によって筆録されました。遥か1269年の後、私が彼らに思いを馳せることができる邂逅に、喜びを感じます。今年見る萩の花は特別のような気がします。

2020.9長月.7(月)

参考)挿頭②家持の喜びと悲しみhttps://manabimon.com/yakamotinoyorokobitokanasimi-kazasi%e2%91%a1/

挿頭③萩〜大原今城と家持・池主https://manabimon.com/kazasi-hagi-ooharaimaki-yakamoti-ikenusi/

家持と池主③https://manabimon.com/yakamotiokkaketabi4takaoka-yakamotitoikenusi/

家持と池主②https://manabimon.com/yakamoti-ikenusi-2/

家持と池主①https://manabimon.com/yakamoti-ikenusi-2/

 

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英語学習・音楽制作・WEBデザイン・体質改善など、色んな『まなび』と『教育』をテーマにnelle*hirbel(通称ねるひる)を中心に学びクリエーターチームで情報を発信しています。 YouTubeチャンネルでは、音楽×英語の動画コンテンツと英語レッスンを生配信しています。
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