6月も今日で終わり、はやいなあ。紫陽花の原種は日本に自生するガクアジサイ、ということで百合と同じく日本では珍しくない花だったと考えられます。「あじさい」は万葉集では「味狭藍=美しい藍色が集まった花」や「安治佐為」と表記されています。とはいえ、万葉集には二首のみしか歌われておらず、平安以降も紫陽花の花を詠んだ歌は大変少ないです。
万葉集であじさいを詠んだ二首とは、我らが家持の歌、そして家持の庇護者である橘諸兄の歌です。
まず家持の歌。これは、家持が恭仁京にいた741年(家持23歳)、平城京で待つ坂上大嬢に贈った歌です。万葉集巻四、相聞に収められています。連作五首で味わいましょう。
大伴宿禰家持が久邇宮から坂上郎女に贈った歌五首
人目多み 逢はなくのみそ 心さへ 妹を忘れて 我が思うはなくに(ひとめおおみ あはなくのみそ こころさえ いもをわすれて わがおもうはなくに)多い人目が邪魔をして逢えないだけです。心まであなたを忘れて思わないなどということはありません。770
偽りも 似付きてそする 現しくも まこと我妹子 われに恋ひめや(いつわりも につきてそする うつしくも まことわぎもこ われにこいめや)人は嘘をつくときに本当らしくいうものだ。あなたは本当に私のことを恋しく思うのか。771
夢にだに 見えむと我は ほどけども 相し思はねば うべ見えざらむ(ゆめにだに みえんとわれは ほどけども あいしおもわねば うべみえざらん)せめて夢でくらいは逢いたいと下紐を解いて(恋人に思われていたり逢えたりする前兆として下紐が自然に解けるという言い伝えがあった)寝たけれど、あなたが私を思っていないなら夢に逢えないのももっともだ。772
言問はぬ 木すら 味狭藍 諸弟らが 練りの村戸に 詐かれけり
(こととわぬ きすら あじさい もろとらが ねりのむらとに あざむかれけり)
もの言わぬ木でさえ、あじさいのように七重八重に咲き、色が変わり、人の目をたぶらかすものもある。諸弟(使いの男の名?)ら村人の巧みな口先(あなたの口車)に私はまんまと騙されたよ。773
百千度 恋ふと言ふとも 諸弟らが 練りの言葉は 我は頼まじ(ももちたび こうというとも もろとらが ねりのことばは われはたのまじ)あなたが焦がれておられると百回千回聞こうとも、諸弟らのうまい口先(あなたの口車)を私はもう信じないよ。774
逢いたいと思っていたのに逢えなかったことを使いのせいにするふりをして、坂上大嬢のつれなさを嘆いている、あるいは嘆いているふりをして訪れない(770)口実にしている。つれないのは家持なのに、大嬢のせいにしている歌。本気で坂上大嬢をなじっているのではなく、からかいの気分で歌の世界に遊んでいる、とも解釈されています。https://www.manyou.gr.jp/SMAN_2/show_record.cgi?record=669
ここでは紫陽花は人を欺く不実な花として歌われています。心変わりや、不実な相手を嘆く歌が恋の歌には多いのですが、なぜ、家持一人しか紫陽花を題材にしなかったのでしょうか?謎です。
以下、これまでに書いてきた内容と一部重複しますが、この時期の家持を理解するために必要なので、記載します。藤原四卿が流行病に斃れ(737年)た後、橘諸兄が政権の中心となり、家持は、諸兄の庇護の下、内舎人(帯刀して禁中での宿衛《=とのい=護衛》や行幸での警衛を行う人)として活躍します。私生活では、妾(おみなめ)を失い(739年)、坂上大嬢と再会、多くの歌をやり取りします。藤原広嗣が九州で反乱を起こし(740)、聖武天皇の迷走が始まり、家持は内舎人としてその迷走に付き従って平城京を後にするのです。
上記五首中、773のあじさいの歌は、諸弟や村戸が誰を指すかに異論があり、難解な歌とされていますが、このように考えてくると、世の中全体が騒然として、誰を信じていいいのか、何が起こるのか、わからなくなっている背景を映し出しているといえるのではないでしょうか。家持が741年四月弟の書持(ふみもち)に贈った歌の題詞に「鬱結(うっけつ)の緒(お)」(晴れ晴れとしない心境)と記しています。あじさいの花は旧暦では五月に咲く花、鬱々とした心持ちがずっと続いていたとしても不思議ではありません。
また、想いびと坂上大嬢と離れて過ごすしかなかった家持の心の苛立ちがこの五首に詠みこまれているともいえるでしょう。この頃の貴族の男たちは妻問婚の形式で女たちの元に通い、男女の交情は流動的なものでした。女は男の来訪を「待つ」立場ではあったけれど、他の男が通うと新しく関係を結ぶことも多く、ルーズな結びつき=主体性の保たれた関係であったのです。もちろん、家持は坂上大嬢だけではなく、多くの女性と恋の歌を交わしており、「万葉集巻四相聞」におさめられています。しかし、坂上大嬢は後に、越中国守である家持に帯同して越中国へ赴く(749年)ことからも明らかなように家持にとっては特別な存在でした。
五首を連続して読むと、770人目を信じられない、771偽りをまことしやかにいう人を信じられない、772互いの心を信じられない、773、774人の言葉を信じられない、と、人の心の信じがたさを繰り返し重ねています。私は色の変わるあじさいの花に寄せて、人の心の信じがたさを切実に詠んだ歌と受け取ります。ここには「からかい」という余裕は感じられない・・・
そして14年ののち、橘諸兄が宴であじさいの歌を詠みます。宴に同席していた船王の裏切りにより、橘家、大伴家は没落していくことになります。家持がどのような気持ちでこの二首を万葉集に入れたのか、紫陽花を詠んだ歌がたった二首である事にも意味があるように思われます。 2020.6.30
追記)「家持と橘諸兄・奈良麻呂〜万葉の花⑤あじさい(2)変わらない?変わる?」
もぜひお読みください。
参考文献)
「大伴家持」(藤井一二)中公新書
「大伴家持」(北山茂夫)平凡社https://books.google.co.jp/books/about/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%AE%B6%E6%8C%81.html?id=iAKvQgAACAAJ&source=kp_cover&redir_esc=y
マンガで楽しむ古典 万葉集 (井上さやか監修)ナツメ社
https://www.natsume.co.jp/books/991