昨日8月1日に紹介させていただいた本、井上一馬さんの「『若草物語』への旅」は、一馬さんが娘さん二人を伴っての旅でした。そして一馬さんの紐解く「若草物語」についての記述の最後は「父と娘」をテーマにしていました。ルイザが「若草物語」を書くことによって彼女の父ブロンソンはその「厳格で先鋭すぎて受け入れられなかった理想」を世の中の人々に繋ぐことができたのです。
NHKラジオ金曜夜10時からの、高橋源一郎の「飛ぶ教室」、以前にもご紹介しましたが、面白いです。生で聴くとツイッターなどで番組にも参加できます。わたしはらじるらじるの聞き逃し配信で聴いています。ここでも「人と人を繋ぐ」ことがテーマに様々な話が繰り広げられています。
今回の一時間目は、情報学研究者ドミニク・チェンさんと娘さんの話題〜〜ドミニク・チェンさんの本「未来をつくる言葉・わかりあえなさをつなぐために」の内容はアナウンサーの小野文恵さんが「読んだ上で聞きますが何が書いてあるのですか?」と高橋源一郎さんに問うほど、硬質な言葉と思索に溢れているようです。https://www.shinchosha.co.jp/writer/6579/
「この本は「バイリンガル」の人の本なのです」と高橋源一郎さん。
バイリンガルである父とバイリンガルに育っている娘。「もっと娘さんにフランス語を喋らさないと小学校で困りますよ」と言われた父は、「電柱にぶつかって日本語喋られなくなってしまった」と言い、疑う娘に対して、日本語を絶対喋れないふりを演じ、幼稚園でも「日本語を忘れたパパ」と有名になりますが、数ヶ月間で娘さんはみるみるフランス語を身につけていったそうです。
多言語でものを考える習慣のある人こそ、言葉を敏感に丁寧に使うのでしょうか。小野文恵さんにして「難解」だった本を読めるかどうかわかりませんが、上のエピソードは心に響きます。子どもってすごい。
バイリンガルは未知の世界で憧れますが一方で大変だなとも思います。
1968年東京に生まれ、2〜8歳までインドにいてヒンドゥーを初めて喋り、次は英語、そして8歳に戻ってきた日本で、日本語が最後に耳が入ったという経験をお持ち(今は日本語しかできませんと仰っていましたが)の千葉大学ロボット技術センター所長の古川貴之さんが二時間目の先生。
古川さんは、14歳の時に難病にかかり余命8年と宣告され下半身が動かなくなります。その時に「この世に僕のものはほとんど何もない。全部借り物なんだ。100年後には死ぬんだから。自分のものといえる仕事を残すことが僕のものなんだ。」と考えたそうです。以後車椅子生活となった彼は「多様性」について考えます。「若いのにかわいそうだ」と言われることに対して「これは僕の個性なのだ。画一的に(かわいそうと)一つにまとめないでほしい」と思い、「人と混ざるのが怖いから心にバリアをはったり周りに合わせようとする」ことを打破し「人と人を繋ぐ社会を作る」ことを目的にしたそうです。そのツールが彼にとっては(彼の得意なことが)ロボットだったということ。「だから僕はロボット学者ではありません。多様性をテーマにして、人と人を繋いで社会を作ることを仕事にしている」のだそうです。
科学技術が人に役に立つためには、「使う人のこと」を考えないと駄目だ、まだまだ人には届いていない、人と繋ぐ工夫はどうすればいいかが彼のテーマ。その具現の一つが「お掃除ロボット」なんだそうです。段差を乗り越えることのできるお掃除ロボットを作ることで「家事の負担が減って、家族同士のコミュニケーションが少しでも広がるように」と考えたそうです。
私もお掃除ロボット「ルンバ」を使っています(いました)。初めは「そんなのいらないや」と思っていたのですが、使ってみるとこれが可愛くて便利。仕事から結構疲れて帰ってきて、玄関の段差を乗り越えられなくてそこで斜めに「シュン」と止まっている「ルンバ」に、「ああありがとう、お疲れ様」と声を掛ける時、優しい気持ちになっている自分、笑顔になっている自分がそこにいます。床に放置してあるものを巻き込んで動けなくなった「ルンバ」に「ごめんね、床にもの置かんようにするわ」と謝ったり。(「ルンバ」はバッテリーの不調で今は部屋のすみっこにいて動きません。段差乗り越えられなくていいからこのルンバを再生してあげないとな、と今、ルンバを拭きながら思っています。)
古川さんは言います。「僕は文系理系の意識はない。僕は数学が得意だからその言語を紡いで世の中に貢献したい、と思っている。人と人を分断するコロナ禍に負けないで、人と人とを繋ぎたい。ウィルスを薄めるような機械や、もっと効果のあるフェイスシールドを作ってみたい。」
面白かった!!!「言葉が息を持っているみたい」と聴者からのコメントがありましたがまさにその通り。
2020.8.2(日)