自分と向き合う技術

小川洋子・東畑開人対談

小川洋子さんの本を読んでいる最中、携帯の音がしたので、チェックをしたら、Googleのおすすめ記事で、小川洋子さんと東畑開人さんの対談が出、これ幸いとチェックしました(私が小川さんの本を読んでいることをGoogleさんは知っていたのか?と気持ち悪くもなりましたが)。

小川洋子さんの新著『耳に棲むもの』、東畑開人さんの『雨の日の心理学 心のケアがはじまったら』を巡る対談です。

https://gendai.media/articles/-/139028

一冊の本をめぐって人同士がつながり、語り合う、ということの素晴らしさを小川さんが語ります。言葉にしなくても「あれめっちゃいいよね」という次元での思春期のやり取りについての話題から、小川さんが、東畑さんに、「箱庭療法はされないのですか?」と問います。

東畑さんは、チャレンジしたけれど、「物語をあそぶような余裕のない、切実に目前の出来事をどうサバイブするか」というクライエントに対しては、あまり機能しなかった、と答えています。ここのところが私には特に興味深かったです。(私も箱庭療法に興味を持ち、これまでにもいろいろチャレンジし、成果を実感し、今もできるだけ行いたいと思っていますが、それにはかなり条件が整わなければならない、と実感しています。)

箱庭療法は、内的なものを展開していくもので、それは今の時代には合わない、というのです。外の世界に立ち向かうために、一人で自分の内に入っていくような孤独は、「よくないこと」のような価値観ができています。一方で、小川さんの小説は内に向かっていきます。内側の価値を認め、「井戸を掘る(村上春樹)」と清らかで美味しい水が湧いてくるのです。小川さんの新しい小説『耳に棲むもの』も耳の中に洞穴エビと4人の音楽隊が棲んでいる人が主人公です。自分の内にある、イマジナリーフレンドを大切にする、大切さをお二人は語ります。

また、お二人とも、「外の人」から、優しく気遣ってもらったり、「仕事ができない状態です」、と言ってもらって、助かった話をされていました。脳(=自分の中にいる上司=超自我)は「頑張れる」と思っていても、まったくそうではない時がある、「脳は別人格」なのだ、ということです。

『耳に棲むもの』の主人公をめぐる話題が続き、対談は後半へ。

https://gendai.media/articles/-/139093

『耳に棲むもの』は山村浩二監督がVRアニメーションに映像化して、小説と同時販売しています。このお二人の対談ももちろんあります。

https://mezamashi.media/article/15460871

小説は映像化された原作の連作短編集で、「主人公のセールスマンがさらに愛おしくなりました」と小川さんは語っておられます。

さて、小川さんと東畑さんの対談に戻ります。小川さんは、連作の中(『今日は小鳥の日』)で、人知れず小鳥の羽でブローチを作る人の存在を、愛すべき人たちとして描きます。書いていて一番楽しかった作品だそうです。

一方で、東畑さんは、「社会的に安全に生きていくこと」と「小鳥の羽でブローチを作るというような、個人的な、その人にとって重要なこと」とが、うまく使い分けできないで苦悩する中での、カウンセリングの難しさを語ります。

現実は作家の想像力をはるかに超えていて、「変わっている人」が沢山いる、その人たちを「変わってるよね」とはじき飛ばし、病名をつけて安心したりする。でも小説の中では変わっている人の言動を魅力のあるものとして描きたい、と小川さん。

できるだけ病名をつけない河合隼雄のやり方を継承している東畑さん、名付けの良さも認めつつ、診断を超えたところにいる個別の人間を大事にする臨床の仕事は文学的なものだ、と言います。

ケアする人、例えば銀座や祇園のママさんのような人、そして家で家族をケアする母たち妻たち、は、一方で、そのことで自身がケアされている。人は大昔からケアしケアされて生きてきた。ここにいない人のことを想像しながら「待つこと」のできる人類。待っている場所、待たれている場所、お尻の座る場所、居場所が、人にとってとても大事な場所であることが、2人によって語られていきます。(若い頃、『「カウンセラー」としても「女性」としても、「バーのマダム」を目指すことがいい』と言われたことがあります。その言葉に対して、強く強く反発したものでした。今、その言葉の「表層」にはやはり強く反発しますが、お二人の語る意味はよくわかります。)

小川さんは、自分が自分であることを証明してくれるものは「寂しさ」だから、それを抱えて生きている人が好きだ、と言います。一方で、秘密を抱えていくのは辛いことだ、とも。「秘密」が、自分だけのものにしておける物語になったときに、救いがくるのだと。

「物語」について考えること、「寂しさ」を肯定すること、が忘れられやすい、現在、もう一度、その価値を見直す必要がある、と強く感じる、読み応えのある対談でした。

2024年10月16日(水)彼岸花もそろそろ終わりになってきました。衣替えかな、と思いながら、まだまだ暑さが残るので手が動きません。

 

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たつこ
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今でも手元にある「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」が読書体験の原点。「ギャ〜!」と叫ぶほかない失敗をたび重ねていまに至ります。

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